マサチューセッツエ科大学(MIT)教授 ジョール・モーゼス7

モーゼス教授の教育面での仕事はどんなものなのか?

「CAIに使われているプロダラムでは、コンピュータ自身、教えている内容を知っているわ
けではない。そこが問題だ。私は、知識ベースを使ってみ教育(Knowledge Based Education)
を提唱してきた。知識ベースを使うと、コンピュータでも専門家に近い理解度に達することが
できる。数学を例に取ろう。幾何は別としてヽ高校程度あるいは大学一ヽ二年程度の数学なら、
知識ベースを使ってコンピュータが教えることも可能である。いわば、数学の世界でここ最近
ニ,三百年に起こったことをコンピュータが知識として持つと考えてよい。まず、概念の説明
とか解決の技術は人間が教えて、宿題をする段階になってこのコンピュータが手助けすること
になる。学生が宿題をしていてあるステップで間違ったとしよう・コンピュータはもうしばら
く学生の努力を黙って見ている・学生がそれ以上先に進まなかったり、とんでもない方向に向
かったりした時に、「二段階前からやり直せ」といったヒントを与える。問題の良く分かってい
る家庭教師に教れっているのと同じことだ。他の教科についても、例えば科学や経済の分野な
ら、あと十年もすればこうした方法が可能になるだろう」
 いずれにしろ、人間の先生が教育の中心であることは変わらないらしい。それは、人間対人
間のコミュニケーションの方が、本質的に効率が良いからなのではあるまいか。例えば、紙と
鉛筆だけでできるはずの数学でも、シンポジウムやセミナーあるいは一対一で、人と人とが面
と向かって話をした方が良く理解できるようだ。とすると、先生という生身の人間から学ぶこ
とにもっと力を入れるべきだとも考えられる。もっと極端なことを言えば、先生がお手本を示
す教育こそ本物の教育だとは考えられないだろうか。
 「アメリカの教育で問題なのは、教える側が何も分かっていないということである。ワイゼン
バウム教授も教師が範例になれと言うが、何も知らない人にそんなことを期待する方が無理だ。
日本では様子が違うらしいが、アメリカの先生は、やる気を無くしている。自信も失ってしま
ったようだ。特に最近一五年間に、この傾向が目立ってきた。その背景には、アメリガの国家
宗教とでもいうべき価値観が失われてきたことがある。昔は、物質第一主義で、誰もが金持ち
になりたいと考えていた。倹約は美徳とされ、短期的目標だけでなく長期的展望もきいた。大
統領は偉人であり、教育は聖なる仕事だった。こうした″信仰〃が、現在ガラガラと崩れつつ
あるように思う。もちろん、経済的な理由もある。日本の先生と比べて、アメリカの先生の相
対的給与はかなり低いと聞いている。これが先生の質を下げている』
 筆者は、現在のアメリカについて少し異なった見解を持っている。アメリカ教は必ずしも死
んではいないし、日本の先生(あるいは自勣車工)は賃金がアメリカとは比べものにならない
ような時にも立派な仕事をしていたのではなかったか。だが本稿は、モーゼス教授の考え方を
伝えることを目的としている。アメリカ人の金銭に対する考え方がちょっと斜めを向いたシニ
カルなものになってきたということでモーゼス教授とは手を打って、次にこれからの社会で何
が一番問題になるのかを聞いてみた。

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