秋葉忠利 著書 “顔”を持ったコンピューター

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。
今日は、3人目の科学者へのインタビューの紹介です。


ピアジエ十コンピュータ=パパート?
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授
シーモア・パパート
Symour A. Papert
 1928年に南アフリカで生まれる。
南アフリカのウィットウォーターズランド大学を卒業後、
英国のケンブリッジ大学から数学の博士号を受ける。
その後、スイスでジャン・ピアジエに師事し、1964年から
MITで教鞭を取る。子供を念頭においた言語LOGOを
開発すると共に、コンピュータ利用による本格的な
教育改革の実験を続けている。
最近では、広い意昧での教育という観点から、コンピュータと文化、
コンピュータと社会に関心を広げ、精力的に啓蒙活動を行なっている。


アメリカの科学論争

 アメリカは科学論争の盛んな国である。もっとも、学者同士で論争するのは当たり前だろうから、
科学論争がニュースになりやすい国と言うべきかもしれない。
 例えば、進化論を小中学校の生物の時間に教えて良いかどうかという問題が、未だにくすぶり
続けている。進化論は一つの仮定であり、神が人間を造り賜うたという自分たちの信仰に反する。
何も知らない子供たちにそれを事実として、教えることに反対だという人たちがいるからである。
 ニュー・マスと呼ばれた現代数学のカリキュラムもアメリカ中で議論の的になったし、遺伝子組み
替え技術をどう使うべきかについても、結論は出ていない。
 そうした中でも、一番世間の耳目を集めたのは「社会生物学論争」あるいはもう少し特殊な
「IQ論争」であろう。人間の行動や能力がどの程度遺伝に依存し、どの程度環境に依存する
のかという主題を巡っての論争だが、甲論乙駁が今も続いている。中には、人間の知能(IQ)
や行動はほとんど遺伝子によって決定されてしまい、しかも黒人や女性の能力は生まれつき白
人男性とは差があると主張する論客もいる。これも、今日明日中に結論がでるような問題だと
は思えない。
 お気づきのように、こうした科学論争には二つの特徴がある。一つは、社会の現状をどう変
えていくべきかという考え方と密接に関わっていること。端的に言うと、教育問題が絡み合っ
ているということである。第二に、少し突きつめてみると根底には人間と機械に差があるのか、
あればどういった差なのか、という問題が潜んでいる。人間の知能が話題になっている場合、
この機械はコンピュータだと考えてよい。
とすると、教育とコンピュータの双方に強い専門家の研究や発言があって当然だが、こうし
た専門家は意外に少ないようである。コンピュータの専門家は引っ張りだこで、地味な研究者
の数が少ないという理由もある。だが、コンピュータと教育を結びつけると、いわゆるCAI
(コンピュータ学習あるいはプログラム学習)に短絡してしまうアメリカの雰囲気にも責任が
ありそうだ。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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