秋葉忠利 著書 “顔”を持ったコンピューター 第3章

秋葉忠利 著書 “顔”を持ったコンピューター
 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。シーモア・パパートの続きです。

ピアジエ十コンピュータ=パパート?
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授
シーモア・パパート
Symour A. Papert


   ピアジエとの出会い
   
 そうした環境の中で、子供たちと一緒に10年以上コンピュータと教育の問題に取り組んで
いるのが、MITのシーモア・パパート教授である。同じくMITのマービン・ミンスキー
授と共に人工知能研究所に属していたこともあるがヽ現在は数学科と教育学科に属している。
 「そもそもの専攻は数学、しかも位相幾何学で、パリのエールスマン先生について勉強した。
その頃は心理学が趣味だったのだが、今は数学が趣味になってしまった」というパパート教授
は、1928年にアフリカで生まれた。
 「父は昆虫学者で、アフリカ中ツェツェ繩を追いかけ回していたから」なのだそうだが、教育
南アフリカ共和国で受け、1952年にウイットウォーターズランド大学から数学の博士号
を授与されている。1959年には英国のケンブリッジ大学から、やはり数学の博士号を受け
ているが、「ケンブリッジはいやな所だった」というわけで、パリを経てジュネーブに住むこと
になる。
 「そのきっかけは、児童心理学者として名高いジャン・ピアジェにパリで出会ったことにある。
ちょうどピアジェは、子供たちが数学的概念をどう学ぷかに興昧を持っていた。その研究に協
力するため、初め一年の予定でジュネーブにあるピアジェの研究所に招かれた。それがついつ
い5年にもなってしまった。その間、子供の素晴らしさに開眼し、ピアジェの理論の偉大さも
分かるようになった」
 その理論をかいつまんで説明してもらった。
ピアジェがよく知られているのは、子供たちの知的発達が段階的に起こるといういわゆる段
階説の創始者としてなのだが、私は認識論の面でのピアジエの貢献を高く買う。
 私の研究に直接関わりのあることでは、ピアジエが二つの大きな発見をしている。まず、子
供の考え方は大人と同じではないこと。次に子供は強制されなくても自分でものを学んでいく
ということだ。
 例をとって説明しよう。私たちは『量の保存』と呼ばれる概念を体得している。一つのコッ
プから他のコップに水を移しても、こぼしたりしない限りその量は変らないということだ。こ
のことはコップの形とは無関係である。ところが、三、四歳の子供だと事情が違う。細長いコ
ップに水を移すと、水面の高さは初めのものより高くなる。それを見て子供は、細長いコップ
の水の方が量が多いと言う。
 ところが、1、2年経つと同じ子供が水の量は変わらないと言うようになる。ピアジエが自
分の子供を観察して発見したことだが、世界各地で実験も行われた。今では『量の保存』とい
う概念はかなりよく理解されている。
 ここで大切なのは、細長いコップに移すと水の量が増えると言った子供の答も間違いではな
いということだ。子供には子供なりの考え方の世界があって、それがたまたま大人の考え方と
違っているだけなのである。段階説というのは、こうしたいろいろな考え方の段階を経て、子
供が知的に成長していくという理論である。私が注目したのは、子供が一つの段階から他の段
階に移るのは、それを目的にして大人が子供を教育した結果ではないということである」
 これが社会生物学の論争なら、遺伝子にそういうプログラムが入っているからだと主張する
人の登場という場面だろうが、パパート教授の目は教育そのものに向いている。
 「赤ん坊も、自然に言葉を学ぶ。それに比べて、学校教育の現状は決してほめられたものとは
言えない。特に数学や物理学の教え方にはずいぶん疑問な点が多い。これをもっと自然な状態、
つまり、赤ん坊が教えられなくても言葉を覚え、子供が教えられなくても『量の保存』の概念
を身につけていくような状態に近づけることができるだろう」というのが彼の見通しである。

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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