マサチューセッツ工科大学(MIT)教授 マイケル・ダーツゾス1

分散システムのアレキサンダー大王
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授
マイケル・ダーツゾス

 1936年ギリシャアテネ生まれ。
アーカンソー大学を経て1964年に
MIT(マサチューセッツ工科大学)か
ら博士号を取得。MITの助教授、准
教授から電子電気工学・コンピュータ
科学科の敦授。現在はMITのコンピ
ュータ科学研究所長として、MITひいては米国のコンビュータ科学
研究の要。第五世代コンビュータについての関心も深く、第五世代コ
ンビュータに代表される日本的な。”挙国一致体制”に対抗し得る米国の
対応策を立案すべしと提唱している。

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      ダーツーゾス教授とギリシャ
      
   束京に隅田川、ロンドンにテームズ川があるように、ボストンにはチャールズ川がある。古
  い街並や高層ビルを背景にヽ初秋の水面をヨットやボートが滑る風情はたしかに美しい。「ボス
 トンの魅力の半分はチャールズ川にある」とまでいわれるゆえんである。
  この川を越えるとケンブリッジ市に入る。もちろんケンブリッジ市にとってもチャールズ川
 が大切な存在であることは言うまでもない。街の景観に美しさを加えていることもあるが、ハ
 ーバード大学とマサチューセッツエ科大学(MIT)という学問の殿堂が、川洽いにケンブリ
 ノジ側に並んでいるということもある。大学を設立(MITの場合にはボストン市内から移転)
 するにあたって、チャールズ川が大きな要素になったのである。
  ハーバードを東犬、MITを東工大と見たてる人もいるが、MITは言わずと知れた科学技
術のメッカである。その建物もドームのある本部とか学生センターの付近など設計に注意を払
ってあるものを除くと、工場のような建物が四方ハ方に雑然とつながっている。この蛸足のよ
うに伸びた建物の歴史が、とりもなおさず、様々な科学・技術消長の歴史でもある。
 MITの中心から少し離れて、広い空地と低所得者用住宅の隣りにあるコンピュータ科学研
究所(Laboratory for Computer Science)もその例外ではない。例えば、1960年代の後
半までの好景気とアポロ・ブームを背景に、アメリ連邦政府がこの広犬な土地にエレクトロ
ニクス関係の研究機関を設置するという計画があった。MITのコンピュータ科学研究所は、
その位置からいってもMITと政府を結ぶ要になるはずであった。その後、この計圃が中止さ
れ、エレクトロニクスやコンピュータの研究・産業のかなりの部分はカリフォルニアやサンベ
ルトと呼ばれる南部に移り、その打撃からようやく立ち直りつつある-----と見るのはある意味
で意地が悪すぎるかもしれない。

 そのコンピュータ科学研究所の所長として1974年から活躍しているのが、マイケル・ダ
ーツーゾス教授である。最近は、MIT出版局から出されたThe Computer Age-A Twenty Year View
(1979年刊、邦訳はコンピュータ・エージ社から三巻に分かれて出版)の編者として一般にも
名前が知られてきた。

 1936年にアテネで生まれ、その後帰化して現在はアメリカ国籍。高校まではギリシャ
教育を受け、アーカンソー犬学で学士号と修士号を取得。1964年にMITから博士号を受
けている。その後、MITの助教授、准教授を経て現在は電気工学・コンピュータ科学科の教
授。かなり長い間ロボットエ学に関心を持っていたが、最近数年はコンピュータ科学研究所長
として分散システムの研究を強力に推し進めている。

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