秋葉忠利 著書 “顔”を持ったコンピューター第3章

 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日でシーモア・パパートは終わりです。


インタビューを終えて
    (1)
 LOGOや亀の幾何学を実際お目にかけることができれば、ずっと分かりやすいのだが、そ
の説明にかなりのスペースをとられ、話も抽象的になりすぎたきらいがある。しかも、教育に
ついての問題は奥行きが深く、上っ面だけをなでただけになってしまった。
 パパート教授の教育とコンピュータについての考え方は最近出版されたMindstorms(ブレ
ーンストームならぬマインドストームである)という本にまとめられている。実はこの本の出
版が契機になって、コンピュータと教育についての論争がアメリカで起こりそうな気配もある。
 例えば、ボストン・グローブ祇の11月12日付の紙面には「2歳の子供に読み書きを教え
る是非」という記事が載っている。結論は、余り早く読み書きを教えない方がよいというもの
だが、「世界を大きな物置だと考えよう。子供が入口からこの物置に入ると、ガイドが一人か二
人ついて、子供が物置の中にあるいろいろな事物を学ぶ手助けをする。これがうまくいってい
る間はガイドは何もしなくてよい。幼い子供に読み書きを教えるのは『ここが物置の中で一番
大事な所だから、できるだけここで過ごすように』というにも等しい。世界と子供との関係を
バランスのとれた良いものにするどころか、子供の経験をいたずらに狭くし、人間の成長と発
達の原理にも反する」といった調子である。
 パパート教授の言うように、子供たちが自分の頭で考えることは大切であろう(しかもこれ
は、子供だけに大切なことではない)。また、人間がコンピュータ文化を形づくるという意見に
も賛成である。だがそれ以外にも大切なことは多くある。子供同士で遊ぷこと、躾(しつけ)、
健康、自然との触れ合い等々である。パパート教授もそれに異論はないはずだ。
 にもかかわらず、筆者は何となく割り切れない感じ、漠然とした違和感を持った。問題が大
きく難しすぎるのかもしれないし、日常的な思考から抜け出せないためなのかもしれぬ。しか
し、コンピュータと教育の関係は重要な問題である。根本まで遡って考えてみる必要がありそ
うだ。
     (2)
 LOGO旋風はパパート教授をその中心として日本にも上陸したようだが、パパート教授自
身もフランスを経てボストンに再上陸した。「世界センター」あるいはそのフランス語のオリジ
ナルである「サントル・モンディアル」と言えば、ミッテラン大統領の号令一下、著名なジャ
ーナリストであるジャンジャック・セルバン・シュライバー(『アメリカの挑戦』の著者)が中
心になって作られたフランスパ国営〃のコンピュータ研究所である。
 その所長として迎えられたのがMITのネグロポンテ教授、主任研究員(チーフ・サイエン
テイスト)がパパート教授という顔ぷれで大々的にその活動が始まった。しかし、“国営”の研
究所という制約があり、研究者としての良心とフランスのコンピュータ産業を助成するという
フランス政府の方針との板挟みになり、結局、主任研究員の職を辞めることになったものらし
い。
 パパート教授自ら、LOGOを使っての教育哲学を開陳した『マインド・ストームズ』に引
き続いて、これまで数年間のLOGOによる数学教育の成果を総括したTurtle Geometry(「亀
幾何学」 ハロルド・エーベルソンとアンドリア・ディセッサの共著)もMIT出版局から刊
行され、APPLEⅡを初めとしてパソコンにLOGOを載せて普及させる仕事も順調に進ん
でいるようである。また、フランスでの経験をもとに、コンピュータと教育あるいはコンピュ
ータと社会を長期的に考える世界的レペルでのシンク・タンクをボストン周辺に設置しようと
いう構想などもある。また、パパート教授夫人のシェリー・タークル女史(同じくMIT教授)
は、子供たちがコンピュータをどう受取っているのか研究・調査し、その結果が『セカンド・
セルフ』として出版された。今後ともパパート夫妻の活動範囲はますます広がりそうである。

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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