秋葉忠利 著書 “顔”を持ったコンピューター第4章

 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日から第4章、建築機械(アーキテクチュア・マシン)グループの若親分、ニコラス・ネグロポンテのインタビューです。


建築機械グループ(アーキテクチュア・マシン)の若親分
    マサチューセッツエ科大学(M‐T)教授       
    ニコラス・ネグロポンテ
       Nicholas P.Negroponte 
1943年ニューヨーク生まれ。両親はギリシャ人、MITで学士、修士
取得後、建築学科で教鞭を取り、現在は教授。
建築機械(アーキテクチュア・マシン)グループを率いて、コンピュータ・グラフィックスや人間
とコンピュータのインターフェースに新しい境地を開く。
NECなどの協力によって、現在建設中のメディア・テクノロジー研究センターの構想も、
このグループのアイデアである。


建築家ネグロポンテ
    
 ニコラス・ネグ゜ポンテという名前を初めて聞いたのは、もう10年も昔のことである。建
築家や建築専攻の学生の間で評判になった彼の著書Architecture Mahine(建築機械)が出て
間もない頃だったがヽ建築の分野にコンピュータを大胆に取り入れ、世界中に旋風を巻き起こ
しつつある建築家だという話であった。
 しばらくして、ニューョークのユダヤ美術館で開かれた「ソフトウエア展」の噂も耳にした。
この展示会にネグロポンテ教授が「奇抜な作品」を出品し、ここでもまた話題をさらったとの
ことだった。その「作品」とは、大きなガラスの容器中に一辺5cmの立方体を積み重ねたもの
で、その中に砂漢ネズミを何匹か放り込む。立方体の間を走り回るネズミは「偶然に」、あるい
は「意図的に」立方体を動かすことになる。コンピュータはそのどちらなのかを判定して、「偶
然」動かされた立方体だけ元の位置に戻すというところがこの作品のミソであった。もっとも、
マスコミはこの作品をどう評価すればよいかだいぶとまどったようである。
 その理由の一つは、ネグロポンテ教授の発想法が、かなり型破りなものだというところにあ
るらしい。創造力が旺盛だと言ってもよい。あるいは芸術的センスがあると説明した方がぴっ
たりする場合もある。当然、浮世離れすることもある。反面、ネグロポンテ教授にはビジネス
マンとしてのセンスもある。後輩を引き立てて行くだけの器量や統率力もある。コンピュータ
に強いことは言うまでもない。若くてハンサム、その上育ちも良い。となると女性にももてる
だろうと考えるのが人情だろうが、その辺はソフトな週刊誌にでも任せて、まずハードなデー
タを見てみよう。ネグロポンテ教授がMITにやって来たのは1961年。学部の学生として
建築の勉強を始めた時である。その後、1965年に学士号、66年に修士号を取り、建築学
科で講師、助教授、准教授を経て1980年に教授になったばかりである。
 建築学科の中に。Architecture Machine Group(建築機械グループ)を創設し、現在その
ディレクターを務めている。この名前はもちろん、彼の著書 Architecture Machine と、1975
年にその続編として出版された Soft Architecture Machine から取ったものである。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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