秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第4章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。第4章、建築機械(アーキテクチュア・マシン)グループの若親分、ニコラス・ネグロポンテのインタビューです。


建築機械グループ(アーキテクチュア・マシン)の若親分
    マサチューセッツエ科大学(M‐T)教授       
    ニコラス・ネグロポンテ
       Nicholas P.Negroponte 



    創造性
 ホテルに着いて、回転グリルでの順番を待つ間に話はコンピュータと社会、それに人間の創
造性に及んだ。まず、同じMITのジョセフ・ワイゼンバウム教授の著書『コンピュータ・パ
ワー』がやり玉にあがった。
「あんなにひどい本はない。まず、人間の創造性について何も分かっていない。考え方は悲観
的だし、何にでも反対すればよいという態度は本当に困りものだ。あれでは被害妄想の典型で
はないか。現状に取って代わるべき代替案を示している訳でもない。特にコンピュータに携わ
る人間をヒットラー扱いするなどもってのほかだ。
 コンピュータ・キチガイの章にしても、ハイティーンの中にはコンピュータと何の関わりも
なく、しかもああいった態度で生活している人間が多いことに気がついていない。そこからコ
ンピュータ・プログラマーすべてがキチガイだと言わんばかりの結論を導くのは的はずれだ。
 いずれにしろ私が一番強調したいのは、コンピュータ文化ほど人間の創造性について本質的
な追求をした文化はこれまでに無かったという点である」
 ビールを飲みながらの昼食は談論風発、いかにも創造性を最重要視する人たちにふさわしい
雰囲気だった。例えば「猿と重石」という問題に全員頭をひねったが、正に学を楽しむ観があ
った。この問題は第三章でインタビューしたパパート教授の著書にも載っており、かなり有名
な問題である・・・・・滑車に綱が掛けてあってその一方の端には重石、もう一端には猿がつかまっ
ている。両者の重さは同じで、完全にバランスが取れている。さて猿がゆっくり綱を登り始め
る。重石は上に動くか、下に動くか、あるいは静止したままか・・・・・というものだが議論百出、
結論のでないまま、グレゴリー助教授の担当する大学院生向けコース「コンピュータ・グラフ
ィックス入門」の教室に向かった。今日はネグロポンテ教授の「客演」である。


     
  “建築機械グループ”の歴史
    
 講義は「黒板の前に立つことなどほとんどないが、今日は″建築機械グループ″の歴史につ
いて話をする」という前置きで始まった。逸話を中心にして約1時間、50人以上の学生が熱
心に耳を傾けた。その間、ネグロポンテ教授の十八番がいくつか顔を出した。
ユダヤ美術館での展示の意図は、マスコミにまったく理解されなかった。だが、展示会が予
定より早く閉会されたのは、ネズミと立方体というわれわれの展示のせいではない。裸の男が
会場内を走り回ったことが原因だ」
 アメリカ人でこのように、自分を笑えるユーモアのセンスを持っている人はあまり多くない。
 「続いてデータ・チューブという研究をした。人間がフリー・ハンドでスケッチをすると、正
確な絵にはならないことが多い。四角を描いたつもりでもヽ線が曲がっていたり角が丸くなっ
ていたりする。それでも、人間がこのスケッチを見ると『これは四角だ』とすぐに分かる。そ
れと同じことをコンピュータにやらせようという試みである。
 ところが、マスコミから猛烈に批判をされた。大容量の記憶装置を使って、ただテレビの画
像を作っているだけではないか。これでは血税の浪費だという批判である」
 どうも、マスコミにはかなり批判され続けているようだ。それと、最近始めたばかりのメデ 
ィア・テクノロジーの研究と、心理学的に見ると何か関係があるのかもしれない。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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