秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第5章

 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日から第5章、エドワード・フレドキンへのインタビューです。


   コンピュータ付空飛ぶ″ノア″
MIT教授・ THREE RIVERS COMPUTER CORPORATION 社長 
   エドワード・フレドキン
   Edwerd Fredkin

 1934年ロスアンゼルスに生まれる。カリフォルニア工科大学中退。
空軍退役後コンピュータ関係の研究員、コンサルタントなどを経て
インフォメーション・インターナショナル社を創立。
1963年からMITで教鞭を取り現在その教授。
スリー・リバーズ・コンピュータ社の社長、
ボストンのローカル・テレビ局WNETの会長などをも兼ねる。
若いアメリカの特徴である企業家精神の豊かな人であると同時に、
未来を見通す人としての評価も高い。


奇人変人の条件
 どんな組織や杜会を見ても、普通の人とは一味違った奇人変人と呼ばれる人がいる。一番眼
につきやすいのは変わった服装や立居振舞をする人である。もっとも、社会全体の変化の方が
速すぎて、最近はどんな物を着ていてもそれだけで変人扱いされることはまずないだろう。と
すると変人と普通の人間との差はもっぱら行動、それにものの考え方ということになる。考え
だけならまだしも、著しく常軌を逸した行動、あるいはもっと極端に走って反社会的な行動と
いうことになると、精神異常者・犯罪者ということになってしまう。奇人変人ですむうちはこ
ういう反社会性が、なんらかの許容範囲内にあるということだろう。
 それ以外にも、変人や奇人として認められるための条件がいくつかある。例えば、まがい物
ではだめなのである。演技ではなく、誠心誠意人と違っていることが要求される。とは言って
も、一万人を騙せるだけの演技力があれぱ話は別だ。それに、三日坊主やパートタイムの変人と
いうのもあまり聞いたことがない。長い間一貫して、普通の人と考えること為すことが違って
いる必要がある。また変人には、変わった経歴の持主が多い。当たり前のエリートコースを歩
みながら変人であるというのは、論理的矛盾ではなかろうか。
 しかも、長い目で見ると変人とか奇人の役割は非常に重要なもののように思われる。進化論
を持ち出すまでもなく、新鮮なアイデア、常識を疑ってかかる考え方が社会全体の健全さを守
るために役立った例は多い。社会の〃進歩〃に寄与したものもある。ある意味で、こうした変
人や奇人は、われわれ凡人に比べて遠くまで物を見る力を持っているともいえるだろう(その
かわり、近くはあまりよく見えないのかもしれない)。エジソンアインシュタインなど、天才
と呼ばれる人びとの中にも変人や奇人は多いが、多くの予言者たち、また方舟を造ったノアな
ども、当時は変人扱いをされた・・・・・予言のなかには杞の国の例のようにそれこそ〃杞憂〃に終
わったものもある。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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