秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第5章

 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第5章、コンピューター付空飛ぶ“ノア”、エドワード・フレドキンへのインタビューです。

   コンピュータ付空飛ぶ″ノア″
MIT教授・ THREE RIVERS COMPUTER CORPORATION 社長 
   エドワード・フレドキン
   Edwerd Fredkin
  
  
  VISIONARY
  
 さて、アメリカのコンピュータ科学界に的を絞っても、一風変わった人間はたくさんいる。
そもそも数学者と同様、コンピュータ科学者の中には、変わり者が多いのだが、その中から一
人選ぷとすれぱMITのエドワード・フレドキン教授になるという人もいる。変人はよいにし
ても、奇人ではあるまい、ただ経歴が変わっているだけだという人もいる。だが、「Visionary
 (夢想家、将来を見通す人)」とか「使えないアイデアを一番多く考えつく人」、あるいは『百
万長者のコンピュータ科学者」、「商売上手」といったフレドキン評から、当たり前のコンピュ
ータ専門家でないこともお分かりいただけるだろう。
 まず、その変わった経歴から見ていこう。コンピュータ科学が新しい分野だとはいっても、
MITで教鞭をとるには、一流大学の大学院で博士号をとってからというのが標準的な行き方
である。ところがフレドキン教授は博士号どころか、学士号さえ持っていない。1934年の
ロスアンジェルス生まれ、地元の高校を出てカリフォルニア工科大学に進むが一年ばかりでそ
こをやめ、空軍に入ったからである。その後空軍で4年半を過ごし、単発ジェット機パイロ
ットとしての訓練を受ける。退役後MITのリンカーン研究所の研究員、コンサルタント会社
の技術コンサルタントを経て、自力でインフォメーション・インターナショナルという会社を
設立し大成功を収める。1968年にMITの客貝教授、69年には正教授になる。今年はM
ITから休暇をもらって、ピッツバーグにあるスリー・リバーズ・コンピュータ社で経営の任
にあたっているほか、近くのカーネギー・メロン大学で講義もしているそうである。



    雲の上の人
飛行機といえば、同じMITのパパート教授も飛行機が趣昧である。コンピュータと飛行機
は何か問題があるのかもしれない。
「どんな関連があるのか分からないが、パパート教授と飛行機を共有していたことがある。今
は水陸両用機を一機持っているが、最近、グライダーも注文した。グライダーの魅力もまた捨
て難い」
 パパート教授はボストン郊外のハンスコム飛行場を基地に飛行機を楽しむそうだが、フレド
キン教授ならもう少しスケールが大きくなるのではなかろうか。例えば、ボストンーピッツバ
ーグ間の往復に自家用飛行機を使っていることも考えられる。だが、しょせん自家用機などと
は縁の無い人間の想像力には限りがある。
 「実はカリブ海に小さな島を一つ持っている。その名もモスキート(蚊)島。英領バージン諸
島の一部で、そこに飛行機を置いてある。その島ではドレークス・アンカレッジというホテル
兼レストランも経営しているが、今まで日本人は一人しか来たことがない」
 その日本人についても、おもしろい裏話があるのだが横道にそれる。飛行機の話を続けよう。
 「妻も飛行機の操縦をする。少し前、本田宗一郎夫妻にお会いした時、本田夫人がやはり飛行
機操縦の趣昧を持っていることを知った。日本では女性パイロットが少ないと聞いている。そ
のせいかもしれないが、本田氏は奥さんが操縦法を習うために飛行場と飛行学校を買ったそう
だ」
フレドキン教授も、相当奥さん思いのようである。飛行場くらい買っていても不思議ではな
い。
「いや、私は飛行場は持っていないが、ジェニー・ビーチクラフトという航空会社の筆頭株主
だ。島を買ったのも、航空会社の株を持っているのも、多面的な資金運用を目的としている。
株主でも、たまにはお客さんを乗せてチャーター用の飛行機を操縦することもある。例えば先
日も、ボストンからニューヨークのIBMワトソン研究所まで日帰りで飛んできた。お客さん
も私も研究所で有意義な一日を過ごしてきたが、お客さんにしてみれば私は小型飛行機の一パ
イロットにしか過ぎなかったようだ」
 こちらが聞くまでもなく次から次へとおもしろい話が飛び出してくる。フレドキン教授と相
前後してインタビューしたIBM副社長のゴモリー博士とはある意昧で対照的である。大きな
組織の中枢にある人と、名も無い会社を設立して百万長者になった人の違いかもしれない。も
ちろんそれだけを成し遂げるには、技術的ノウハウだけでなく人当たりの良さ、相手の懐深く
入ることなどが当然必要だったはずである。だがゴモリー博士にしろフレドキン教授にしろ、
庶民から見れぱ雲の上の人であることには変わりがない。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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