秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

 いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日から第6章、アラン・パリースへのインタビューです。
コンピュータ科学界の長老/異端者
エール(YALE)大学教授
  アラン・パリース
  Alan J.Parlis
  1922年ピッツバーグ生まれ。カーネギーエ科大学(現在のカーネギー・メロン大学)卒業後、
 MITから1950年に博士号を取得。パーデュー大学、カーネギー・メロン大学で教鞭を執った後、
 1971年からエール大学で教えている。プログラム用言語と人工知能に関心を持ち、1956年には
 アメリカ計算機械からその最高の栄誉チューリング賞を受けている。
 現在も、アメリカのコンピュータ科学界の長老として第一線で活躍を続けている。


エール大学

ニューョークとボストンのちょうどまんなかに、ニュー・ヘイブンという小さな町がある。ア
イビー・リーグの名門校エール犬学を中心にした、典型的な大学町だが、アメリカの都市とし
ての特徴もかね備えている。犯罪率が高いのである。もっとも最近はそれも滅少しているよう
だし、大学を囲むスラム街も再開発計圃によって整備されつつある。ちなみに、大学の周辺が
スラム化するのは、エールだけの話ではない。コロンビア犬学(ニューョーク)とかシカゴ大
学も同様である。
 このエール大学コンピュータ・サイエンス学科のアラン・パーリス教授を1981年の4月
初めに訪問したが、時を同じくしてエール大学の名がマスコミを賑わした。御存知のように、
レーガン犬統領狙撃の容疑で逮捕されたジョン・ヒンクリーの動機が、エール大学の学生であ
る女優ジョディー・フォスター嬢の気を引こうとしたことにあったらしいからだ。彼女のほか
にも、テレビの人気番組 “ ハッピー・デイズ ” で当たり役 “ フォンズ ” を演ずるヘンリー・ウ
ィンクラーもエールの出身だし、山崎正和氏とエールとの縁も深いことなども考えると、演劇
界においてエール大学の果たしてきた役割の大きいことがお分かりいただけるだろう。アイビ
ー・リーグの一流校ともなると、科学や法律以外にも幅広くすぐれた教育をしているのである。
 俳優ほどマスコミにもてはやされることはないが、エール大学のコンピュータ科学教室が演
劇教室に劣らぬ貢献をしてきたことは言うまでもない。その牽引力が、パーリス教授である。
アメリカの大学では大物教授に特別の名称を与える所が多い。パーリス教授も正式にはユージ
ン・ヒギンズ・プロフェッサーと呼ばれる。1976年から79年まで、教室の主任という重
責も果たした。
 だが、パーリス教授の故郷は鉄の町ピッツバーグである。1922年4月1日に生まれ(「誰
でも誕生日を憶えていてくれるから楽しい」そうである)、ピッツバーグで育つ。1943年に
カーネギー・メロン大学の前身カーネギーエ科大学を卒業(化学専攻)、続いてMITから数学
修士号(1949年)と博士号(1950年)を受けている。卒業後、MITのフォール・
ウインド計画に参加。1952年にはパーデュー大学に移り、1956年以降71年まで母校
カーネギー・メロン大学で教鞭を執った。1965年から71年まで主任を務めている。カー
ネギー・メロン大といえば、ノーベル賞受賞者ハーバート・サイモン教授をはじめとして、
人工知能研究における ″ 聖地 ″ の一つである。もちろん、カーネギー・メロン大学をそこまで
育てるのにパーリス教授の力が大きかったことは言うまでもない。パーリス教授自身の研究分
野は主にプログラム用言語と人工知能だが、その業績に対して1965年に、アメリカ計算
機械学会からその最高の栄誉であるチューリング賞を受けている。

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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