秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第6章、アラン・パリースへのインタビューです。


  コンピュータ科学界の異端者

 車椅子では思うとおりに動けないため、机の上も整理が行き届かないというパーリス教授は、
かなり几帳面な性格の持主のようだ。とはいっても、これはコンピュータのプログラムを書く
人に共通していることかもしれない。ところで、そのプログラム用言語を専門とするパーリス
教授のソフトウエア観は少し変わっている。が、傾聴に値する。
 「私はコンピュータ科学界での異端者である。それは、現在コンピュータ科学が直面している
困難さは、FORTRANとかALGOLに依存し過ぎるところに原因があると考えているか
らだ。
 ここ4,5年プログラムの道具としての言語を研究してきたが、コンピュータ科学者が欲張
りになって自分たちの理解できないことまでコンピュータにやらせるという現象が起きてい
る。これでは到底プログラムの自動検証などは無理だ。だが、それ以上に本質的な理由は、プ
ログラムを書く前から、そのために必要な機能特性がすべて分かっていることなどまず期待で
きないという点である。書いた結果はじめて、特性が分かるようになる。だからプログラムの
書き方も、いくつかのプロトタイプを作っていって、その各々が少しずつ必要な特徴を備え、
最終的に満足のいくプログラムに収束するようになる。したがって、最終プログラムの存在そ
のものが、われわれのしたいことの機能特性を表わすことになる。
 別の言い方もできる。プログラムを数学でいう関数だと考えると、それには多くの変数が必
要である。だが、それがどういったものかは事前に判らない。したがって、プログラムを数学
的に扱うことはできない。もっとも、変数がきちんと判ってからプログラムやアルゴリズム
数学的に捉えることはできるが、こうした研究はコンピュータ科学の小さな部分を占めるにす
ぎない」
 このことと、冒頭のプログラム用言語、特にFORTRANとかALGOLとの関係はどう
なのか。あるいはADAはどうだろう。
 「こうみてくると、プログラム用言語は二つの重要な特徴を持つ必要がある。一つは簡潔さで
ある。PL/IもADAもALGOL68のどれを取っても簡潔でない。無駄口の多い言語だと
も言える。もう一つは速さである。インプリメンテーション、テスト、改良、変更などが速や
かにできる言語だということが大切なのである。
 ADAが注目を浴びている。たしかに今までの言語よりはよくなっている。だがADAの付
け加えた価値は、最小限度のものでしかない。多くの人材が大きなコンパイラー開発に投入さ
れているが、結果として時間、資本、労力といった点から見てコスト曲線を大幅に変えること
はない。ADAはいわば進化の袋小路に入り込んだ恐竜である」

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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