秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第6章、アラン・パリースへのインタビューです。
   コンピュータ科学界の長老/異端者
  エール(YALE)大学教授アラン・パリース



コンピュータはアメリカ的産業

 アメリカでAPLが伸びなければ、まったく異なる文化を持つ中国ではどうか、と考えるの
はAPLフアンなら当然のことだろう。あるいは日本ではどうなのか。
 「1972年に中国を訪問し、APLについての講演をした時にそういった期待も持ったのだ
が、科学・技術・ビジネス界からの圧力があって結局中国でもだめだった。日本についても、
とても慎重な技術開発をしているとは思うが、これまでの流れとまったく方向の違った道を探
しているようにはみえない。今後も日本はこれまで以上の発展を続けるだろうが、コンピュー
タというのはそもそもアメリカで繁栄するのに適していたのではないだろうか。御存知のよう
に、アメリカは企業精神の旺盛な国だ。2,3人が一緒になって新しいものを考え出し、ガレ
ージを工場にして事業を始める。それが当たって巨万の富を築く人も多い。アメリカのコンピ
ュータ産業では、IBMが圧倒的な強さを持っているといわれるが、本当に新しいアイデア
多くはIBM以外の場所で生まれている。つまり、個人の企業精神と創造性がアメリカのコン
ピュータ産業の背骨になっている。
  一方ソ連はヽ中央集権的な国である。それ故に、アメリカより切実にコンピュータを使いた
いはずだ。しかし、この中央集権的な体制が実はコンピュータ産業や科学の育成を阻害してい
る。硬直した社会では、コンピュータが育たないといってもよい。
 日本も別の意昧で硬直した社会なのではないか。何をなすべきか、どうしてそれをするのか
という問に答えるに当たって、市場・販売の政策が優先するという意昧でこれを言っている。
売れるのか、役に立つのか、利益はあるのかという点ばかりに目がいって、柔軟性を失ってい
るのではなかろうか。
 NECのコンピュータを分解して、新種を創り出す、それを2、3人で売って商売にするな
どということは、日本では不可能なことのように思われる。結局、コンピュータと車は同じで
はないということだ。コンピュータを車のように扱うと、短期的にはうまくもいこうが長い目
で見ると破綻がくる。だからこそ、私のように時流と直交する方向への変革を研究することが
必要になる。広い意昧で、大学がこの役割を果たしている。いわば、私は″ALGOLなんて
駄目なんだ″と言うために給料をもらっている。IBMやバロースに勤めていたのでは、とて
もそんなことは言えない」


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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