秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第6章、アラン・パリースへのインタビューです。
   コンピュータ科学界の長老/異端者
  エール(YALE)大学教授アラン・パリース


   ユダヤ人的教育と高校教育

 御家族は?
 「妻と子供3人。上の二人は男で二人とも弁護士になった。一番下は今年大学を出て秋から台
湾に英語を教えに行く。妻はENIACのプログラマーだった」
 ・・・・・コンピュータ科学に興昧を持った理由は?
大恐慌の最中に高校生だったし、家も豊かでなかったので、大学には行けないと思っていた。
ところが、高校の化学の先生がカーネギー工科大への奨学金を探してきてくれた。彼の教え子
でこうして科学を勉強するようになり、博士号を取った生徒は100人を下らないだろう。高
校時代の教育が、いかに大切かということを痛感している。特に私の父は洋服のセールスマン
で、科学について何も知らなかったから、特にそのことを感じるのだろう。
 ところで父は、今ポーランドになっているが、ソ連の小さな町の出身でユダヤ人、母はソ連
オーストリア系でピッツバーグ生まれだ」
 ・・・・・ユダヤアメリカ人には、コンピュータや数学の部門で優秀な人が多いようだが、何か
特別の理由があるのだろうか?
小さい時から親子の間で議論をすること、抽象の能力が優れていることなどが原因だろう。
長い間何も持てず、抽象することくらいしかできなかったせいもあるのだろう」
 ・・・・・趣昧は?
 「昔は絵を描いたこともあるが、今はコンピュータが趣味だ。それからスポーツも好きだ。歩
けなくなる前は何でもよくやったし、若い頃はプロ野球の選手になろうと思ったこともある。
 歩けなくなったのは、1974年。1961年から多発性硬化症に冒されたからだ。歩けな
いだけで、それ以外はまったく不自由していない。外国にもよく出かけるし、エール大の中で
も不自由なことはあるが、慣れると苦痛は感じない」

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
より多くの市民に読んでいただくためにクリックをお願いします。