秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第6章、アラン・パリースへのインタビューです。
   コンピュータ科学界の長老/異端者
  エール(YALE)大学教授アラン・パリース

人類生存の目的    

 時流に逆らう方向と言った方が分かりやすいかもしれない。となると、MITのジョセフ・
ワイゼンバウム教授を思い出す。
 「プログラムを書くことも書くという作業の一部であり、すべて分かっているから書くのでは
なく分かるために書く、などという部分には賛成だが、ワイゼンバウム氏は全体として披害妄
想の気があるのではないか。人間は弱いもの、悪をなすもの、企業にコンピュータを与えれば
市民を搾取するためにこれを使うなどということを、不変の前提として議論を展開しているか
らだ。
 しかし、そんなことは本質的でないし、人類の行く末を考えると ″関係ナイ″。人間は成長す
るものだからである。人間にはいろいろな枷がある。寿命はせいぜい70年。0℃と40℃の
間ぐらいでないと生きられない。それ以外にも、数限りない制限の下で生きている。これを人
類が閉じ込められている箱というふうに考えると、この箱から逃げ出すあるいは箱を少しでも
大きなものにしていくことが人類に与えられた最優先課題である。そのために人間は脳を使い、
今のところ一番役に立つ道具がコンピュータだという結論になる。
 さて、どんな逃げ道があるかというと、それは、「選択の幅を広げる」道である。労働時間が
減り自由時間が増えると、映画でも、本や芸術作品でも今の作り方では供給が間に合わなくな
る。チェスのプログラムと同じように、人間の中でもトップにいる人の作品にはかなわなくて
も、われわれの大多数よりはましなものをコンピュータが創り出すようになるだろう。
 宇宙開発もコンピュータなしでは不可能だし、宇宙船を銀河系のどこかへ送ったあとそれを
だれかが憶えていなくてはならない。それをコンピュータにやらせる。シェークスピアは不死
身だが、これまでは不死身になる過程がきまぐれなものだった。それに代わってコンピュータ
が人類全体としての記憶を受け持つようになり、人類が不死身になる」
 ・・・・・暇ができたら、ヘボでもよいから自分で碁を打つなり、自分で創造することが大切なの
ではないか。
 「それはもちろん。私が指導した学生でおもしろいことを考えたのがいる。印刷術の発明で、
物語の性格が変わったというのだ。つまり、語り手が目の前で話をしているのなら、白分がお
もしろいと思った登場人物についていくらでも質問できる。それでも一つの物語になった。と
ころが印刷された本では、それができない。物語が一直線に進むだけである。コンピュータを
使うことによって、昔の物語が甦るかもしれない。それが5年先になるか10年先になるかは
分からないが、選択の幅が爆発的に大きくなる時代が来るだろう」
・・・・・今でも地上の多くの人間にとって、「生きる」ということが最も大切なことで、成長まで
は考えられない状態だし、歴史的にも “ とにかく生きる ” ことが犬切だったように思えるが。
 「そう言ってしまうと、何のために生きるのかということで意見が分かれてしまう。どの時代
でも人類破滅の可能性を考えてきたはずだし、やはり成長を目標として歩みを続けたのではな
いか。われわれの時代が他の時代と違っているとすれば、それは神の役割を演じられると思い
込んでいる人が増えている点かもしれない。世界のどこに行っても、例えば気候を変えたり自
然環境に手をつけたりという目的を持った委員会がある。ある場所の気候を変えれば他の場所
も影響を受けるのだが、これは科学あるいは技術の問題だから、というので自分たちが手を出
してもよいと考える。もっとも、ほとんどのものは実現不可能だ。反面、人類の終局の目的は
あらゆる意味で神に近づくことだとも言えるのだから、仕方がないかもしれないが……」
 ・・・・・銃を持つことで神に近くなったと考える人もいるわけだが、銃もコンピュータも同じハー
ドウエアという比較をする人もいるが。
 「もしコンピュータを銃にたとえるなら、弾がどんなものか、その上、弾の速さも標的も何も
わかっていない銃だということになる。だが銃ではなくても、コンピュータをこれまでの道具
や機械にたとえることには注意を要する」

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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