秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第6章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第6章、アラン・パリースへのインタビューです。
   コンピュータ科学界の長老/異端者
  エール(YALE)大学教授アラン・パリース


   インタビューを終えて

 これまでインタビューしたコンピュータ科学者のうちで最年長のせいか、話に味があった。
もっと若い人が言えば角が立つようなこともパーリス教授の口から出ると、こちらも受けとめ
る気になるから不思議である。黒か白かではなくて余韻が残るのだ。
 多発性硬化症で車椅子の生活に否でも応でも適応せざるを得なかった経験が滲み出てくるの
かもしれない。だが、アメリカ社会では、そろそろ引退の年でもある。定年は先のことにして
も、老人の経験は余り顧みられないお国柄である。一方では、こうした進取の気性がコンピュ
ータの発展を促したことは、パーリス教授も指摘している。他方、コンピュータに人類全体の
記憶を司らせることも大切だろうが、人間がその一生を費やして蓄積した知識や知恵をもっと
有効に活かす、身近な努力も必要なのではあるまいか・・・これを同僚に話したら、お前はやは
り東洋人だと笑われた。・・・ここはやはりアメリカ合衆国である。

「相変わらず、プログラム用言語に興味を持っている。もう少し正確に言えば、私たち一人一
人が、プログラム用言語をマスターし大きなプログラムを書けるようになるためにはどんなこ
とが必要なのか研究を続けている。APLは依然素晴らしい言語だと思うが、その他PROL
OGなどにも少しは手を延ばし始めている」
電話の向うのパーリス教授の声には張りがあり、一年前とまったく変わっていな
ROLOGとなると、第5世代のコンピュータをすぐ思い出す。第5世代についての意見はど
うなのか。
 「システムが大きくなると、PROLOGではその論理的明晰さが失われるという心配があり、
成功するかどうかに疑問を抱く向きもあるようだ。しかし、きちんと目標を立て、それに技術
力・創造力を計圃的に投入することは素晴らしい。アメリカでのコンピュータの発達は余りに
も市場と結びつき過ぎている。売れるものを作るという姿勢からは小さなことしか改良できな
い。だが、コンピュータに関して現在必要なのは、大きな量子論的な進歩である。
 個人の興昧の赴くまま自由にアイデアを出し、いつの日かそれが凝縮して偉大な建物になる
というやり方は、長い目で見ると正しいものだとは思う。だが、時には、こうした努力を調整
して一つの目的に向かって力を合わせることも必要だ。現在のアメリカの研究はばらばらで、
今一つ計画性のない点に不満が残る」
 したがって、パーリス教授の持つ知恵をほかの研究者が引き継ぐこともなかなか難しいよう
である。もっとも御本人は意気さかんである。特に教育面で実験的なことをしているという。
 「プロダラムを書くのと同様読むことも大切だと考えて、プログラムの読み方を教えている。
 一つ一つの操作を理解するのではなく、もっとスケールの大きなパターンを読み取るようにす
ることが目的だ。いわば、イデオムごとに理解しようということだ。ここでもAPLは強力だ。
人間にとって読みやすいということは、コンピュータにとっても読みやすい、したがって実行
しやすいということにもつながるはずである」
 コンピュータにも「読書百遍、意自から通ず」といったことが可能かどうかは疑問だが、ま
すます、大きなシステムを扱わなくてはならない今日、プログラムを読む技術はたしかに重要
であろう(するとプログラムの読み方をその一つの分冊として早くから取り入れた岩波講座も
当然高く評価されることになる)。こんなことが意外に、コンピュータ社会を人間的に動かすこ
とに通じるのかもしれないが、コンピュータ科学界の大御所としての意見には重みがある。ア
メリカで最近顕著になってきたコンピュータを見直すという動きにしても、その源流の一つが
パーリス教授にあると言ってよいのではあるまいか。

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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