秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第7章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日から第7章、ロジャー・シャンクへのインタビューです。

          人工知能に賭けるエールのボス
    エール(YALE)大学教授  ロジャー・シャンク Roger C. Schank
1946年のニューヨーク生まれ。力−ネギー工科大学卒業後テキサス大学で博士号を得る。スタンフォード
学、スイスでの研究生活後1974年からエール大学に移り、現在教授コンピュータ科学科の主任。人工知能
特にコンピュータの自然言語理解の分野では第一人者といわれるが、最近はその経験を基礎にCognitive    System(コグニティブ・システムーー認知システム)社を設立。人工知能研究の成果を市場に売り出す一翼をになっている。


  翻訳・通訳の難しさ

 少しでも外国で暮したことのある人は、大抵言葉に関心がある。腹ぺコの子供に泣かれなが
ら、つたない外国語で食堂を探したり、「パパヽおしっこ」と言われた途端、「トイレ」に相当
する単語を忘れてしまったというような経験が誰にも一つや二つはあるからだろう。しかし、
こうした苦い思い出が、まったく過去の物になる日が未るかもしれない。
 現在でもマイクロプロセッサーを利用した小型の “ 電訳機 ” が市販されているし、自動翻訳
とかコンピュータによる自然言語理解の研究も、ずい分進んでいるという話だからだ。とはい
っても、こうした研究が元になって実用的な電訳機が出回るのはまだまだ先のことだという人
もいる。それに、外国で言葉が通じないとはいっても、辞書とか『6力国語対照会話の手引き』
などを持ち歩けば、それほど不便ではない。問題なのは、ついつい億劫になってこうした便利
なものを活用しない点にあるのではないか。
 反面、筆者のつたない経験から考えても、翻訳とか通訳をきちんとすることはかなり難しい。
いくら艮い辞書があっても、それだけで良い翻訳ができるというわけでもない。通訳にしても、
話し手の言うことを理解することから始まって、聞き手の納得がいくように喋るまで、どのス
テップをとっても一筋縄ではいかない。しかも、理解するということは自分なりに終始の一貫
した全体像(その上、細部まできちんと分かれば申し分ない)を描くことであり、翻訳や通訳
という作業はこれを別の言葉で説明することにほかならない。
 「全体像を描く」という表現からも窺えるように、文字で書かれた文章を理解するのにも、言
語という次元を超えた領域に入り込む必要があるのではないか。だから、少なくとも翻訳や通
訳の道を歩もうとしている人たちは、専門とする二力国語で聞いたことをそのまま他人に伝え
られる程度の理解力、つまり全体像を描く力を持たなくてはならない・・・・・大変偉そうなことを
書いてしまったが、実は筆者、学生の頃から恥をかきかき同時通訳や翻訳の仕事に携ってきた。
長い間続けているだけが取り柄なのだが、教師という職業柄、優秀な若い人たちを前にして分
かったような口をきくのには慣れている。
 そこを見込まれてか、同時通訳志望者たちと話をする機会が何となく多いのである。そこで、
おもむろに、今まで書いてきたようなことからしやべり出すのだが、それでも訳すことは言葉
から言葉へ直接道をつける機械的なプ゜セスだという考え方は、なかなか抜き難い。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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