秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第7章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第7章、ロジャー・シャンクへのインタビューです。

          人工知能に賭けるエールのボス
    エール(YALE)大学教授  ロジャー・シャンク Roger C. Schank


A I 批判と反論

 いよいよAI研究者の十八番登場だが、AI批判者の中には機械が本当に言菓を「理解」で
きるものなのか、疑問を抱く人も多い。
 「ワイゼンバウム教授がそのよい例だが、彼の言い分も分かる。彼の言うように、経験してい
なければ理解できないことは多い。そこまではよいのだが、だから機械が理解することはでき
ないという彼の結論は誤っている。われわれは、機械にその経験を与えようとしているからだ。
私自身テロにあったことはないが、テロがどんなものかは理解できる。本や雑誌を読んだり話
を聞いたりしてテロについての知識を持っているからだ。それなら機械にもできるはずだ。た
しかに機械には“愛”がわからないかもしれない。しかし、それでよいではないか。理解とい
ってもいろいろなレベルがある。一番深いのは愛とか共惑といった情緒に関わるものだろうが、
人間同士でもこうした深い理解を得ることはまれにしかない。日常生活の大部分、多くの人と
の関係でわれわれはもっと浅いレベルの理解で用を足している。機械がそこまで到達できれば
それで十分だと思う」
・・・・・ワイゼンバウム教授は、機械と人間の間には差があるから、機械に任せてはならない仕
事もあるというが、この結論についても賛成か。
「いや不賛成だ。その理由は、ワイゼンバウム教授が理想化された社会を前提に議論を進めて
いるからだ。例えば、世界中の裁判官がソロモン王のような叡智の持ち主ではない。ワイゼン
バウム教授が機械に任せてはいけないという事がらのうちの多くも、現実では無神経で偏った
考えを持つ人間が決定を下しているのではないだろうか。その上人間は賄賂をとるし、夫婦喧
嘩の後で気がむしやくしやしていたり、健康状態が優れないといったことも個々の決定に重大
な影響を与える。ベトナム戦争にしても、それを始めたのは人間であってコンピュータではな
い。政治家が次の選挙のことばかり気にしているのに比較すると、コンピュータの方がはるか
に気のきいた決定をくだすことができるのではないだろうか」

広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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