秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第8章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。
今日から第8章、マービン・デニコフへのインタビューです。

   コンピュータ科学の演出家          
       米国海軍研究所情報科学部長             
        マービン・デニコフMarvin Denicoff
  1924年フィラデルフィアで生まれる。18才で軍隊に入り、その後、IBMテンブル大学、メキシコ大学などでコンピュータ、文学、言語について学ぶ。1950年に海軍に入り、オペレーション・リサーチや計算についての研究を続ける。1960年には米国海軍研究所に入り、現在情報科学部長。海軍内での情報科学関係の研究を総括するだけでなく、海軍が民間に委託する研究や陸海空三軍による民間研究機関への研究補肋の調整等をも司り、米国内のコンピュータ科学研究の方向に大きな影響力を持つ。


      多忙な演出家    

 映画でもテレビの番組でも、私たちは裕次郎とか吉永小百合といったスターに陶然として、裏方の存在を忘れていることの方が多い。カメラの前に裕次郎が立つだけで映画ができると思っている人は少ないだろうが、制作者や演出家の仕事を十分理解している人もまた少ないのではあるまいか。
 科学の研究でも、同じことが言えそうだ。スターとして表面に立つのは、もちろん研究者である。独立心の強い科学者の常として、自分の考えるまま思うまま独創性を発揮していると信じ込む傾向もあるようだが、楽屋には座付の脚本家・演出家がでんと座り込み、台詞や仕種の大筋はそこで決まってしまうこともある。大道具や小道具の準備にも手間がかかるし、サルトル物では採算がとれないから、忠臣蔵を出そうといった配慮も必要だろう。一人で机に向かい、紙と鉛筆だけあれば何とかなる家内工業的分野は別として、巨大な実験設備や多数の研究者を必要とする分野では、全体を巨視的につかみ采配を振る人間がでてきて当然である。となると、コンピュータ科学においても、これまでの成果を評価し今後の方向を探ることを専門にしている人がいてもおかしくない。その上、国の財源を背景に、将来の行手をある程度決める権限が与えられているとなると、コンピュータ科学を考えていく上でどうしても見落とすことのできない人だということになる。
こうした人達の中でも特に有名なのは、米国の海軍研究所(Office of Naval Research,略称0NR)の情報科学部長マービン・デニコフ氏である。国防省関係の組織で民間の科学研究椎進に直接関与しているのは、ARPA(国防省高等研究計画局・・・Advanced Research ProjectAgencyの略だがアルルパと呼ばれる)と陸海空三軍の研究所が主なものだが、少なくともコンピュータに関遵する分野ではデニコフ氏の属する海軍研究所の重要性は否定できない。かつての大日本帝国と同様、進歩的海軍、保守的陸軍といったような雰囲気があるのかもしれないが、デニコフ氏個入もかなりの貢献をしているようだ。
「軍の機密に関すること、政治的なことについては話せないが」という条件でインタビューに応じてくれることになったが、それまで長距離電話を何回かけただろうか。いつも会議中あるいは出張中ということだったが、とにかく忙しい人なのである。ある朝彼の秘書に「伝言を残したい」と言ったら、「今机の上に27枚メッセージがのっている。28枚目のメモがデュコフ氏の目に止まる可能性は少ない」と言い渡された。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
より多くの市民に読んでいただくためにクリックをお願いします。