秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第8章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第8章、「二束の草鞋」と「インタビューを終えて」です。

            コンピュータ科学の演出家
  米国海軍研究所情報科学部長 マービン・デニコフ Marvin Denicoff


ニ足の草鞋
 そういえば、デニコフ氏は作家・戯曲家としても名を知られている。
「今までに書いた小説は30。文学雑誌に載ったものが多い。戯曲は7本。ブロードウエー上
演の一歩手前までいったものが2つある。1976年にはスタンレー演劇賞を受けている。
 となると、陸軍の中にあって医学という立場からの貢献をし、その上文学でも活躍した森鴎
外を思わせる。もっともデュコフ氏は、日本文学や演劇にはあまり興味がないようだ。ニュー
ョークで上演される芝居はほとんど観ているという氏だが、アメリカ物特にアーサー・ミラー
が好きだという。
 「今日もこれから観劇に行くから」ということで、デュコフ夫妻にまたホテルまで送っていた
だいたが、夫人は近くの高校で社会科と美術を教えているそうである。「1番上の息子が今年医
学部を卒業する。まん中の二人は法律、一番下の子供はまだ高校だが、やはり十代というのは
難しい」という口振りはやはり母親である。だがデュコフ氏に対しては、ちょっと手厳しい。
 「戦闘的無神論者」だそうである。
・・・・・御両親は?
「両親ともロシアから移ってきたユダヤ人。父は80歳だが今でもペンシルバニア州で公認会
計士として働いている。父の仕事を10歳頃から手伝った」
 ・・・・・最後に日本に対するアドバイスを一つ二つ。
「第一に、システム専門家の教育を大局的な立場から行う必要がある。多くの分野にまたがっ
て知識を持っている人が、どうしても中心になってくるだろうからだ。
 もう一つは、今まで述べたようなAIの夢が実現した時に、社会がどうなるかを考える必要
がある。人類は生存し続けることができるのか。文化はどうなるのか。余暇の時間はどうか。
こうした創造的分野で日本の果たし得る役割は大きいのではあるまいか。それと、大学レベル
での研究をもっとオープンにしたらどうだろう。第二次大戦後、アメリカで教育を受けた人は
多いはずだ。日本でも同様の努力をしてもよいのではあるまいか」


  インタビューを終えて

 陸軍省医務局長という軍医としては最高の地位を得た森鴎外と、ONRの情報科学部長とい
うデニコフ氏との間には似た点も多い。だが、二人の姿勢には大きな差がある。
 鴎外の作品には、デュコフ氏のように明るい未米を志向し、その実現を目指して官僚機構を
縦横に操っている科学者の雰囲気はない。その差が日米文化の差の反映か、医学とコンピュー
タ科学の差か、あるいは単に時代の差によるものなのかは分からない。ことによるとデニコフ
氏は、より戯曲家的で、鴎外はより小説家的なのかもしれない。
 デニコフ氏が人間に対して持つ深い洞察力が、ONRをとおしてどのように発揮されている
のか。後世の判断を待ちたいが森鴎外にしても出世はしたものの、官僚機構や政治の力の前に
は弱い存在だったという。しかし、デニコフ氏の殺人的忙しさは相変わらずである。披の采配
の下に、海軍とコンピュータ科学界との協力体制も依然として固い。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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