秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第9章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日から第9章、ジョゼフ・ワイゼンバウムへのインタビューです。


     愛を説くコンピュータ・サイエンチスト
     <マサチューセッツエ科大学(MIT)教授     

 ジョゼフ・ワイゼンバウム  jaseph Weizenbaum


 1923年ベルリンで生まれる。1936年にアメリカに逃れ、第二次大戦中陸軍に属した後、ミシガン州立ウエイン大学で学士、博士号を取得。 
コンピュータ関連企業のコンサルタントなどを経て1963年からMITで教鞭を取る。
人間と機械の〃会話″を可能にしてELIZAプログラムの創造で有名だが、コンピュータと人間またコンピュータと杜会の関係を根本から問い直した著書Computer Power and Human Reason(邦訳はサイマル出版会刊『コンピュータ・パワー』。秋葉訳)で欧米に、人間杜会におけるコンピュータの役割についての大議論を巻き起こした。


    『コンピュータ・パワー』    
 本書の最終章に取り上げたのはMITのジョセフ・ワイゼンバウム教授である。ご存知のよ
うに、拙訳『コンピュータ・パワー』(サイマル出版会刊)の原著者である。その中でワイゼン
バウム教授は、現代の社会におけるコンピュータの役割に警告を発しているが、まえがきでは
それを次のようにまとめている。
「主な論点は、第一に、人間と機械との間には差があること、第二にコンピュータにある仕事
ができるかどうかは別として、コンピュータにさせるべきでない仕事があるということだ」
 ごく当たり前の結論としか思えないのだが、この主張を巡って活発な議論が巻き起こった。
今まで何となく不安に思っていたことを、専門家が明確に述べてくれたという一般市民の声が
聞かれた反面、具体的な代案が提示されていないとか、あるいは披害妄想狂や偏執狂の言うこ
とだとか、なぜコンピュータの否定的側面だけにしか目を向けないのかといった批判も多かっ
た。
 細かい部分に異議は持っているが、筆者は大筋においてワイゼンバウム教授の問題提起が非
常に重要なものであると考えている。同時に、ワイゼンバウム批判には謙虚に耳を傾けてきた
つもりである。本書に登場していただいたコンピュータ科学者たちのワイゼンバウム評も(オ
フレコの部分は除いて)、読者諸氏に正しくお伝えした・・・少なくとも、正確に伝えようと努力
はしたつもりである。
実はこうした批評の中には、もっともだと思われる点も少なくはない。それを敷折したり、
反駁したりすることは誰にでもできる。しかし、何といっても、現在のコンピュータ科学のあ
り方に大きな疑問を投げかけた、ワイゼンバウム教授自身の反論を聞きたいと思うのは当然だ
ろう。もっともワイゼンバウム教授は二年程ドイッヘ行きっぱなしで、なかなか会えなかった
が、1981年の8月末に、ようやく古巣のMITへ戻ったばかりの氏をコンピュータ科学研
究所に訪問した。




広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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