秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第9章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第9章、ジョゼフ・ワイゼンバウムへのインタビューです。


     愛を説くコンピュータ・サイエンチスト
     <マサチューセッツエ科大学(MIT)教授     

 ジョゼフ・ワイゼンバウム  jaseph Weizenbaum



     テレビとコンピュータ
   
 ワイゼンバウム教授や、MITのパパート教授(第3章)の意見もそれに近い。両教授とも
子供たちの多くがコンピュータと接触するようになれば、当然何らかの影響は出るはずだと考
える。ワイゼンバウム教授の特徴は、すでに「現状でも心配な部分がある」という点である。
 「テレビジョンがよい例だが、人びとはテレビ時代の初期には非常に大きな期待をした。茶の
間まで文化が入ってくるし、教育にも大きな貢献をする云々ということだった。ところが現状
を見ると、陳腐で、知的に空虚な番組ならまだよい方で、暴力番組、特に殺人が非常に多い。
これと同じようなことが、コンピュータで起こっている。コンピュータの専門家は除くとして、
普通の人がコンピュータに触れるのはまず電卓かビデオ・ゲームという形になる。電卓は道具
としてだけ使われているから、人間の情緒的な側面にはあまり影饗を与えないが、その点ビデ
オ・ゲームはまったく異なっている。受身のテレビと違って、自分から積極的に働きかけなく
てはならないから、テレビより子供を引きつける力がある。だから子供をテレビから引き離す
ためには、ビデオ・ゲームが役立つだろうと考えて子供にビデオ・ゲームを買い与えた親が多
いようだ。その結果はどうだろう。ビデオ・ゲームのほとんどは、「スター・ウォーズ」とか
潜水艦長」といった人殺しゲームではないか。テレビが教育的に悪いことを認めて、あるいは
テレビで殺人を見せることは子供に害があると考えた親が子供に与えたゲームで、今度は子供が
自分で手を下して″殺人″を犯している・・・というのはまったく皮肉だ。
 しかし、一番問題なのは、社会のあり方だ。現代社会はコンピュータにしろその他のハイ・
テクノロジーにしろ、どんな発明をも内容のないものに変えてしまう。いやそれでは足りずに、
人間の暴力的な側面をことさら助長するようなものに変えてしまう。社会そのものが、狂って  
いるのではあるまいか。それと、もう一つ気がかりなのは、何事によらず技術に救いを求めよ
うとする現代社会一般の風潮だ。子供がテレビばかり見ている。それを変えるためには別の技
術にすがるよりほかはないと、自動的に考えてしまう。そこでコンピュータに関わっている人
たち、ハイニアクノロジーの推進者たちに提案したいのは、『未来をごらんなさい。ハイ・テク
ノロジーはこんなに素晴らしい未来をもたらします』と言うことをやめて、今、子供たちに何
が起こっているか、今、コンピュー夕がどんな影響を与えているのかじっくり見てほしい、と
いうことだ」
 この辺の議論は、かなり前に出版された『テレビを廃止すべき四つの理由』という本を彷彿
とさせる。ジェリー・マンダーという著者は、以前広告会社の社長としてテレビを使って物を
売ることを専門にしてきた人だが、テレビの恐ろしさに気がついて、この本を書いたそうであ
る。ここ数年アメリカで静かなベスト・セラーになっているものだ。ワィゼンバウム教授も「こ
の本の議論には聞くべき点が多いが、テレビを廃止できるかどうかは分からない」とのことで
ある。ということは、ワィゼンバウム教授自身コンピュータを廃止せよとまでは主張していな
い、ということでもあろう。ではどうすればよいのか。
「まず、 コンピュータそのものをもっとゆっくり開発すること。特に、科学的発明発見を即座
に製品として社会に出すという傾向は困る。少なくとも、大学の研究者が行うことではない。
それは、大学の概念そのものにも反するからだ。それとともに、まず製品として社会に導入し
ておいて、使う人びとを対象にして実験的にその影響が分かってくるという現在のやり方も変
えるべきだろう。今のやり方では、順序が逆ではないか」
 「企業は、とにかく製品という形でアイデアを商品化すべし」というADL社のウイジントン
氏とは対照的であるが、一つには大学と企業との差ということもあろう。現代社会で高等教育
がどんな役割を果たすべきか、という点もしばしば問題にされる。







広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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