秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第9章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第9章、ジョゼフ・ワイゼンバウムへのインタビューです。


     愛を説くコンピュータ・サイエンチスト
     <マサチューセッツエ科大学(MIT)教授     

 ジョゼフ・ワイゼンバウム  jaseph Weizenbaum


    
「ヨーロッパの中世は、過酷で暴力的な時代だった。人類がそれまでに蓄積した知識や知恵が、
すべて失われる危険もあったのだが、少なくとも憎院ではそれを理解し後世に伝える仕事をし
た。現代も、やはり過酷な時代である。人間の知恵や知識の犬切な部分が、失われる危険もあ
る。力づくで、人間を平均化、規格化してしまうテレビは、人類や文化がこれまで達成した最
善のものを破壊する危険性さえある。こうした時代に大学は、これまでの文化、知恵、知識を
後世に伝えるための機関・・・少なくともその一部・・・としての役割を果たすべきである。一つ           
注意しておきたいのはここで知識や知恵といったが、それらがすべて符号化されコンピュータ
が扱い得るものだと思ってもらっては困る。コンピュータではなく、人間にしか伝えられない
ものも、大切だということに気がついてもらいたい。
その例といえるかどうか分からないが、一つ指摘しておきたいのは、宗教のことだ。世界に
は多くの宗教があり、その初期にはまったく別々に発達してきたといってよいだろう。にもか
かわらず、ほとんどの宗教ではその中心に″愛″という慨念がある。これは入間にとって、愛
がいかに大切なものか示しているとも考えられる。
それで思いつくのは、数学における″解決不可能″という慨念だ。これが数学や哲学で基本
的な慨念だという一つのあかしは、お互いに何の関係もない文脈で思考をしてきた人びとの論
理的帰結として、この慨念が現われてきたという点にある。同様に、愛も人間にとって基本的
なことだと思う。計算の結果、論理的思考の結果現われる慨念ではないし、究極的に真である
ことは分かっても証明はできない。それにもかかわらず人間にとって最重要な慨念なのである。
ところで、神道には愛という概念は存在するのだろうか」
 筆者は寡聞にしてその答を知らないのだが、どうなのだろう。それはさておき、科学技術の
発達の結果生まれた物は多い。なかには、人間にとってよいことだけをもたらしたものもあっ
てよいと思う。とりあえず、その候補を挙げるとすれば電話とか飛行機ということになるのか
もしれない。
「飛行機は非常によいものだが、それが発達したのは軍事的な目的があったからだ。これもよ
い発明が、人殺しの機威に変えられた一例で、今でも多くの飛行機は人殺しを目的として造ら
れている。私が心配しているのは、何でもこのように否定的にしてしまう現代文明の性
格なのである」
 しかし、電話などわりに無害な方なのではあるまいか。もちろん、電話を使って子供を誘拐
することもできるだろう。しかし、それと、人殺しを目的とした拳銃との間には差があるので
はないか。文明の利器のうち、人聞の福祉に少しでも多く役立っているものを探してきて、そ
れはなぜかを究明することも必要なのではあるまいか。だが、先を急がなくてはならない。時
間はどんどん過ぎていく。



広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
より多くの市民に読んでいただくためにクリックをお願いします。