秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター 第9章

いまから25年前、当時一流のコンピューター科学者10人に秋葉忠利がインタビューしてコンピュータの未来と人間の将来について書き上げたものです。今日は第9章、ジョゼフ・ワイゼンバウムへのインタビューの最後です。


     愛を説くコンピュータ・サイエンチスト
     <マサチューセッツエ科大学(MIT)教授     

 ジョゼフ・ワイゼンバウム  jaseph Weizenbaum



   インタビューを終えて
 ワイゼンバウム教授の話を整理するために、二つの“モデル”が参考になるかもしれない。
第一のモデルは、ハーバード大学の心理学者、ロレンス・コールバーグ教採の説である。彼の
説によると、人間の道徳的発達は三段階に分けることができるという。第一段階では、罰がこ
わかったり、やっかいなことに巻き込まれるのが嫌だという理由でちゃんとした行勣をする。
いわば、まだ悪い子の状態である。
 第二段階は、権威を尊重したり社会秩序を守るために行動する。まあ普通の子の状態と言え
よう。第三段階は、一般的な道徳律や自分の良心に照らして行動する、いわば良い子の段階で
ある。コールバーグ教授は続けて、大部分の人は十代の時に〃悪い子〃から〃普通の子〃の段
階へ移るが、第三段階には行きつかない人もまた多いという。誰が、どの段階にいるか興味の
あるところだが、それは読者の判断にゆだねるとしても、ジョセフ・ワイゼンバウム教授が第
三段階からの発言をしていることは、疑う余地がなさそうだ。
 第二のモデルは、旧約聖書に登場するジョセフ(ヨセフ)である。七年の豊饒の後に七年の
飢餓の訪れることを予見し、豊かな時代に準備をすることによってエジプトの苦しみをいくら
かでも軽減した人だが、その話から教訓を引き出そうなどと考える必要はないのかもしれない。
もっとも、旧約聖書のジョセフは110歳まで長生きし、その晩年は幸福なものであったらし
いから、少なくとも、ワイゼンバウム教授自身にとっての三大問題の一つの老人問題は、あま
り心配しなくてもよいものなのかもしれない。
 ワイゼンバウム教授はまた、小さな子供が人差指を突き出して「バン、バン」と他人を撃つ
真似をすることさえ不愉快に感ずるほど、徹底した平和主義者である。ここ一、二年来アメリ
カで盛んになった反核運動にも積極的に参加している。また“社会におけるコンピュータ”と
いったテーマのセミナー、講演会に″コンピュータ懐疑派″の代表として招かれることもまた
多い。そうしたセミナーの変わり種として、最近メイン州の人里離れた山奥で「コンピュータ
と個人の価値観」というワークショップが開かれた。リーダーの一人がワイゼンバウム教授で
あることは言うまでもないが、これは1960−70年代のヒッピーの時代にはやった感受性
訓練(センシティビティー・トレーニング)の80年代版とも言えるだろう。コンピュータ相
手に仕事をしてきた人たちを対象に、週末の二、三日間、日常の生活を離れて人間としてのあ
り方、人間とコンピュータの関係などについて根本から見直そうとするものである。
 ベトナム反戦運動の底流として、相手の惑情をより的確に理解するための訓練が流行したの
と同様、コンピュータ見直しの根底に、自分自身の価値観を反省する動きか始まったことは興
昧深いが、これがアメリカ全体に広がる気配は今のところまだ見られない。しかし、コンピュ
ータそのものあるいはコンピュータと社会の関連を考えるにあたって、その中心はあくまで人
間なのだという姿勢を貫くことは、今後ますます重要になっていくはずである。



広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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