秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター  対談

″人間がより人間的″であるためにコンピュータとは何だろう
コンピュータ・科学・芸術・数学・文化・社会について語り合った、画家と数学者の対話
画家安野光雅 タフツ大学准教授秋葉忠利



  コンピュータ神話はこまる(前半)


安野 コンピュータにとって、今日のテーマは、コンピュータの技術者たちが、これから先
何をすればいいかということではないでしょうか?人類がコンピュー夕の未未に何を期待す
るかなんていう立派なことではなくて、コンピュータの会社が、これから先何をすればいいか。
何かいいことはなぃだろうか、というような企業的視占から見た、期待というのか正直なとこ
ろではないでしょうか。そのためにいわゆる電子工業や物理学やそういった分野の研究をマス
ターすれば、それを使ってすぐ何かができると誰でも思いやすい。でも、そういうものヒゃな
いんじやなぃか。これは、理工系の学生がそうした会社の人社試験をうけたり、うけなかった
りする状況を見て直感的に思うんですけどね。つまり新しいものを開発するための方法論がな
い、芸術にそれがないようにね。コンピュータの専門家でも、コンピュータというものの、物
理的なナソ解きはできても、人間的、哲学的に機械と対決しているかどうか疑わしい点も見ら
れますね。                                  `
 最近、占いのできる卓上計算機が売られてぃますが、これは非常に象徴的なできごとだと思
います。あれが本当ならノーベル賞クラスのできごとだと思ぃます。おもしろい話として冗談
で言っているんならいいんだけど、本気になっているらしくて、買う人もいるし、作っている
人もいるというのは、いったいどういうことなんでしょうね。
 以前、バイオリズム測定とかいうのがありましたね。あの時、ぼくは実物を見ないで、そん
なバカなことがあるものかと思ったんですよ。ところが実物を見たら、ぼくが思ったよりも幼
稚な方法だった。
 秋葉 ああいうのを買うのは、どんな人かと思ったら、一流大学を出て、一流の仕事をして
いる人が買って、真面目に使っている。
 安野 コンピュータのようなものに関わる人たち、つまり理工系の人ならまさかそういうこ
とはあるまいと思っていたけれども、それが全然そうじゃないんだよね。で、よく考えてみた
ら文科系の中に科学的な人がいてもいいし、逆に、理工系に文学的な人がいても不思議じゃな
かったっていうことだったんですよ。
 秋葉 アメリカの大学では、文科系、理科系と分けずに数学を教える所も多い。数学とはど
ういうことをする学問なのか、ということを頭でなく、もうちょっと感覚的に心の方で分かっ
ているというような学生は、必ずしも理工系の学生とは限らない。かえって文科系の学生の方
が、よく分かったりしますね。


広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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