秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター  対談

″人間がより人間的″であるためにコンピュータとは何だろう
コンピュータ・科学・芸術・数学・文化・社会について語り合った、画家と数学者の対話
画家安野光雅 タフツ大学准教授秋葉忠利



     コンピューター神話はこまる(後半)


 安野 コンピュータができて、世の中に現われ始めてから今日までまだ時間か短かい。一般
の理解が追いつかないほどの速さでコンピュータが進歩してますね。卓上計算機にしても、今       
よりずい分大げさで、それが3万5千円くらいしていた。そのころ電電公社で「プッシュ
ホンで計算します」という売り出しを始めた。あれで計算してくれるなら買おうかなと思って   
いたら、3000円ぐらいで電卓が手に入るようになった。アッという間だもんね。
世の中の人たちの、そういうものに対する真の意味の理解が、ついてくればよかったけれど
も、その方は全然おざなリで、要するに、占いをやりながら売っていた。「コンピュータってい
うのは、こんなに便利なものですよ」と言われて、利用する企業も「乗りおくれちゃぃけない」
という姿勢で対応する、売る側としても、そういうあおり方をしなくっちゃなりませんね。ど
こそこのお寺がコンピュータを買ったなんていう話がでてきたりしましたからね。でも“みど
りの窓ロ”の座席の予約や銀行のオンラインには、私もさすがに驚いたですね。
 秋葉 実は、そのところで楽観論があるんです。ADL社のウイジントンという人が、彼は
フリードマン先生流の自由経済の信奉者、まあレーガン流と言ってもよぃのですが、彼は要す
るに何でもいいから市場に出せと言う。思いどおりのものができなくてもいいから、アイデア
があったらどんどん出せ。取捨選択は消費者にやらせるからいい。そこで、いいものだけが残
る。
 長期的にみると人間の意識が変わっていくから50年、100年すると今言われているよう
な情報革命とかコンピュータ革命とか、そういうようなことが起こるだろう。その革命は、い
ろいろな人が言っているように非常に重大だけれども、結局、自由市場の選択のメカニズムが
うまく働くから大丈夫だと、非常に楽観的なことを言っているわけです。今までのところは、
みどりの窓口、オンライン、それもたしかに使利なものには違いありません。
 安野 あなたの翻訳した『コンピュータ・パワー』のお医者さんの診断の代わりをするとい
う、「イライザ」ね、おもしろおかしい。何でもぜんぶ“神話”になってしまうという、そうい
う傾向がコンピュータを広めたという時代がありましたが、今、あれは困る。例えばコンピュ
ータに占いをやられたら困る。というのは、コンピュータというのは、中世以来の迷信をはぎ
とりはぎとりして、やっとの思いでたどりついた科学の所産であるのに、またしても、そうし
てでき上がったコンピュータが占いをやってくれては困るんですよ。
「町の占師が占っては困るかもしれないけど、コンピュータでやっても駄目ですか」という人
がいましてね。それを聞いて、ぼくはショックだったね。
 コンピュータ神話ができて、コンピュータを制するものが発言力を持つようになる。漫画的
に言うと、例えば一流会社はロボットを作って、ロボットの制御をコンピュータでやる。企業
が大きくなればなるほど、昔のロボットみたいに、自分たちのコンピュータのカラクリを人に
知られたくないように思い始める。




広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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