秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター  対談

″人間がより人間的″であるためにコンピュータとは何だろう
コンピュータ・科学・芸術・数学・文化・社会について語り合った、画家と数学者の対話
画家安野光雅 タフツ大学准教授秋葉忠利


      「ヌバ」の世界(2)


 秋葉 百科事典の編集を手伝ったんですが、他の百科事典を参照したら、四種類とも内容が
違っていた。例えば、人の生年月日ですらまちまちだったり、書いていないものもある。コン
ピュータが入ってくると情報をもっと中央集権化することになるし、実は歴史も変えられるか
もしれない。安野光雅氏が何年生まれでシマ馬が大好きだと、コンピュータが言えば、データ
が正当化されてしまって真実だとされる。安野さんが違うといっても否定される。
 安野 その意味でサンタクロースは、かなり情報ででき上っているイメージですね。あれは、
実際いないんだから違うものを描いたっていいはずだけど、ぽくは白いひげのサンタクロース
しか描けないと思うね。ピノキオの絵を描いたら「これは違っている。ディズニーのはそうじ
ゃない」という子供がいるんですよ。情報量の問題が、正しい正しくないだけじやなくて、美
意識までも左右する。おそらく大量なるものが美しく見えるという変な美意識もあるんですね。
 ところで『創造性の開発』というアメリカ人の書いた本がありまして、読んでみたら、物を
さかさまにして考えるとか、小さいものを大きく考えるとか、縦のものを横にしてみたり、組
み合わせを変えてみたりそういったたくさんの方法を一つ一つ全部つぶしていくと、これ以外
の考え方はないというところまでいけるはずだという、つまり考える方法がほとんど網羅され
ている。ところがそれは、地図を見て未発見の島を探すようなもんじゃなぃかなあと、思える
んですよ。
 この間西武デパートでやっていた「ヌバ」という題の写真展がありました。アフリカの奥地
で、およそ文明とは縁遠いところで暮らしている人たちの姿に感動しました。コンピュータな
どとはまったく無縁でね、われわれが文明と呼ぶものとはすべて無縁でいて、何不自由なく暮
らしている彼らなんです。顔に彫ってあるイレズミなんていうのは、ピカソでも及ばなぃんで
す。
 ぼくたちとはまったく違った世界といってもいい所に、彼らの豊かな世界がある。本当にう
らやましく思いましたね。それが一つの原点のような気がしたんです。われわれにとって、文
明とは一体何だったのかということを、いっぺん考えてみないといけませんね。原始時代へ戻
れといっても戻れるわけのもんじゃないけれど……。
 秋葉 人間というのは、意識的に歴史から学ぶことができないんじゃないか、悲観的な見方
をしますとそういう気がする。
 例えば、原爆の開発のマンハッタン・プロジェクトを見ると現在のコンピュータ科学の発展
の仕方と似ているところがある。「少しは昔の歴史から学び得ることがあるんじゃないか」とい
うと、アメリカの科学者の中で怒る人がいる。しかし、もう少し謙虚になって、昔こういうや
り方でやって、その結果大変なことになったから、今度はそういうことが起こらないようにち
ょっと気をつけようじやないかという、反省、それがあまりないんじゃないか。
 楽観的な方は、アメリカと日本とそういうものに対する反応を考えてみると、アメリカの学
生より日本の学生の方が、なんとなく帽広くそういうものを見ている。アメリカの学生は、カ
ーッとなっでパーッと行っちゃって、あまり反省がない。人工知能の研究をみても、10年ぐ
らいかかって「文脈っていうのは大事だ」と分かる。それがものすごい発見なんですね。日本
人のそういうことに対する態度は、もうちょっと醒めている。日本の人工知能や、ソフトウエ
アが遅れていると、アメリカ人も思ってる。実は、長くみるとそうじゃないんじゃないかとも
考えられる。50年たったら違うんじやないかという気もするんですが……。



広島ブログ
秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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