秋葉忠利著書 “顔”を持ったコンピューター  対談

″人間がより人間的″であるためにコンピュータとは何だろう
コンピュータ・科学・芸術・数学・文化・社会について語り合った、画家と数学者の対話
画家安野光雅 タフツ大学准教授秋葉忠利


    「ヌバ」の世界(3)


 安野 アメリカ人というのは合理的にシステマティックにものを考えることが得意だと思っ
ていましたけどね。マンハッタン計画とかアポロ計画みたいに、あれはシステマティックに考
えたものの勝利みたいな気がする。月へ行ってもダメだとかなんとかぽくが言っても無駄な抵
抗でして、コンピュータを使って頭の中では考えきれないことを考え、人間の能力の限界を越
えていると思わざるを得ないところがある。
 一方、とくに日本人の中に多いのかもしれないが、さっきの「ヌバ」とか、昔はよかったな
あとかね。人間はみな仲良く暮らさなきやいけないとか、原爆を落とされちゃ困るとか、そう
いうヒューマンな考え方っていうのはあるでしょう。日本人にとくに多いし、世界中にもある
と思うが、そういうものを、さっきの「心の目」と対応させるわけ。あんまり割り切ってもの
を考えてもいけませんけど。
 碁打ちに、定石をぜんぶ知っているっていうのがいるんですよ。じゃ強いかというと強くな
い(笑)。将棋の大山名人なんか、「そんなのは驚かない」って言う。相手のやることはぜんぶ分
かっている。九九%分かっている。それでもなお何を考えるのかっていうことになるという。
そういう時は、もうどうしようもない、全部分かっているんだから……。「そのときは、どう
も、皮膚の上で考えたり、このへんの腕が考えたりしているみたいですよ」って言うのね(笑)。
日本人はかなり情緒的なんですねきっと。
 瀬田貞二さん(文学者)とイギリスヘ行った時、「今日は何と何と何を見てきて……」と言
う。ヘエーすごくたくさん見てきたなと思ってくやしくなるんです。ぼくは何してたかという
と、一日中野原を走り回ってきた。それを言葉では言いあらわせないんですよ。くやしいから、
「ぼくだって12時間目開けていた……」(笑)。
 例えば、マリリン・モンローの似顔絵を見たとしますね。「モンロー」という名前を言わなけ
れば、ぽくが分かっているということを誰にも伝えられないし、その名前が思い浮かんでこな
いと、ぽく自身が、あいまいなのね。「マリリン・モンロー」という名前を思い出したとたんに
パチッと焦点があって、まぎれもなくモンローだという気分になるんですね。
 秋葉  数学っていうのは、だいたいそういうものですね。偉い数学者にいわせると、イメー
ジというのが先にあるわけです。これは本当じゃない、これは本当だっていうのが分かるわけ
です。それを言葉であらわすから数学なんで、モヤモヤしているだけでは、それは夢なわけで
すね。それを「マリリン・モンロー」と言わなくちやいけない。だから、証明というのは、マ
リリン・モンローにたどりついたそのプロセスを説明するわけです。逆に言うと、そのプロセ
スをたどっていけば、あなたはモンローに行きつくことができる。しかもそれがモンローであ
ることが分かるわけですね。
 安野 まったくそうですね。これが何がゆえにモンローであるかを言わないで「いいかい、
これはマリリン・モンローなんだよ」と即名前を言っちゃうんですよ。答だけ言う。「お父ちゃ
んこれは何だい?」って聞いたときに、「それはカブト虫だよ」ってぽくが言う。と、そこで切
れちゃうんだね。答が出て終わりという気分になるところが、もしカブト虫という言葉を使わ
ないで、カブト虫を表せっていわれたら、これはたいへんですね。



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秋葉市長が25年も前にコンピュータ時代を予測して、当時の最先端科学者をインタビューした本です
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