アメリカ人とのつきあい方  サマーズ家の日々

    サマーズ家の人々
 1950年から60年代にかけて、私たち日本人のもっていたアメリカの
家庭像はすいぶん偏見に満ちたものでした。・・・・・大きく広い家のなかには
電化製品がそろっていてたしかに便利だけれど、アメリカの親たち(とくに母親)は
自分勝手で子どもにたいする愛情は薄い。その好い例が、夜になると子どもを
ベビーシッターにあずけて親だけで遊びに出かける習慣である・・・・・。
 しかし、一年間体験したアメリカの家庭は、はるかに健全で愛情に満ちていました。日
本の家庭とくらべて、違いは多くあるのですが、それでも日本の家庭にぜひ取り入れたい
と思うようなこともありました。たとえば、家庭における父親のありかたです。もう少し
視野を広げて、大人の男性一般と子どもたちとの関係をこのなかに入れてもよいように思
います。
 とにかく、私は高校二年になっても(残念なことにそれ以後もずっと)父とうちとけて
話をした経験がありませんでした。学校の先生以外の大人の男性と話をしたこともあまり
なかったのです。
 対して、私がアメリカで会った父親たちは、とても子どもに近い存在でした。家庭で過
す時聞も長いうえ、積極的に子どもとのコミュニケーションをはかろうとしているように
見えました。そして、社会全体が家庭を中心にして動いているようにも見えました。しか
も、男性たちでさえ、なんのてらいもなく「家庭中心説」を信じているようでした。それ
を私は、サマーズ家の人々から学びました。
 サマ−ズ家にお世話になることは、出発のニカ月前、AFS本部からの手紙で知りまし
た。サマーズ家からは家族三人と愛犬トラブルの写真が手紙とともに送られてきました。
 写真のなかのサマーズ家のリビング・ルームは、当時古くさく見えたアーリイ・アメリ
カン・スタイルの家具にかこまれ落ち着いた雰囲気でした。
 その後ダッド(お父さん)と呼ぶようになったミスター・サマーズの髪はクルー・カットで、
目つきは鋭く、仕事はエンジニアということでした。マム(お母さん)は濃い茶色の髪
ととがった鼻に特徴があり、色のついた眼鏡をかけたところは、いかにもインテリという
感じでした。病気のため足が不自由で、歩くのに杖を使う必要があると手紙には記されて
いました。写真では年齢がよくわからなかったのですが、二人とも40代だったようです。
 息子のスティーブは、私よりも二歳年下の15歳、いかにもアメリカのティーンエイジャー
らしい顔つきで、太りぎみ、髪と顔の輪郭がお父さん似、目のあたりと眼鏡がお母さん
似という少年でした。


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