アメリカ人とのつきあい方  1 サマーズ家の日々

    忙しい朝

 朝は忙しいので階下に下りてきた順に台所で朝食を食べました。マムやダッドは
ティーブと私が階下に下りてくる前に朝食をすませていました。
 アメリカ式の朝食は、まずジュースを、それからコーン・フレークスなどのシリアルか、
ホット・ケーキとかフレンチ・トーストが主でした。ホット・ケーキにバターを塗って、
その上に甘いハチミツやシロップをたらして食べるのには最初びっくり、後では辟易しま
した。卵も油やバターを豊富に使ったいろいろなスタイルで出てきました。それからトー
ストが出てくるといったぐあいで、量が多く、甘いという点にずいぶん抵抗がありました。
 サマーズ家ではコーヒーは成長期の子どもによくないから飲ませないという方針で、結
局、一年間コーヒーを飲ませてもらったことはありませんでした。ミルクも身体にあわな
かったので、結局、リプトン社のグリーン・ティーティー・バッグを買ってきてもらって、
それを飲んでいました。
 朝食中の会話は、その日のスケジュールについて、あるいは新聞のニュースについての
コメントが中心でした。学校のクラブ活動で遅くなると、帰りのスクール・バスには乗れ
なくなるので、「今日はレスリングの練習(日によっては生徒会、その他になったりします)
で遅くなるけれど、ダッド、迎えに来てもらいたいのですが」と頼んでおく必要があるの
です。ダッドが忙しいときには、友だちのレイの車で送ってもらうことがよくありました。
レイはアルバイトをしたお金で車を買った級友で、同じレスリング部にいましたが、彼の
車に乗せてもらうと寄り道をして時間がかかるうえ、毎回10セントとられることになって
いたので、ダッドに頼むほうが好都合だったのです。
 食時について印象深かったのは、時間がきちんと決っていることでした。朝食はスクー
ル・バスがくるまでに終えなくてはいけないので、自然に時間が決るのですが、夕食は六
時半ということになっていました。
 それまでの日本の生活では、夕食は各自帰宅したときに食べることが多く、家族そろっ
て食べるという習慣はありませんでした。どちらかというと、父のつごうにみんながあわ
ぜるというシステムだったのです。アメリカでは対照的に、食事時間がきちんと決ってい
て、それに少しでも遅れることは許されませんでした。それくらい、家族全員が団らんの
場をだいじにしていました。
私にとって、アメリカははじめての経験です。それがどのようなしきたりであっても
批判をするまえに、これがアメリカ流なんだなと考えて受け入れる努力をしました。夕食
の時間についても、主婦の立場から考えられるようになったのはずっと後のことです。決
った時間内に主婦がたくさんの家事をこなすには、一日の時開割があり、そのなかで食事
の時間がきちんと決っていること、また家族がその時間を守ることがどうしても必要にな
ります。
 もう一つ、サマーズ家で感心したのは、マムが、たとえば月曜日は洗濯の日、火曜日は
掃除の日と、きちんと計画を立てて、家事をこなしている点でした。
 子どもたちは、洗濯物があればバスケッ卜に入れておきます。そうすると、きまった曜
日に洗濯してもらえるのです。逆に考えると、その日になるまで洗濯はしてもらえないの
です。最初はとまどいましたが、シャツやズボンが何枚あるかをもとに、一週間のローテ
ーションではどういう組合せで服を着ればよいかというようなことも、だんだんわかって
きました。日本では制服だったのでなにも考えなくてよかったのですが、エルムウッド・
パークでは、二日つづけて同じ洋服を着て学校にくる友だちは1人もいませんでした。仲
間の目を意識して(これをピア・プレッシャーと言うのですが)、私も自然に周囲と同じよ
うな感じで着るものの組合せを考えるようになりました。
 スクール・バスは朝1回、7時半ごろ、そして帰りは終業後15分ごとに数本出ます。
バスはサマーズ家の真向いに停るのでとても便利でした。とはいっても、100メートル
か200メートルおきに一度は停ります。朝は、このスクール・バスの時間にあわせてス
ティーブといっしょに出かけました。帰りはクラブ活動や運動部の試合、あるいは生徒会
などがあって時問がまちまちになります。


広島ブログ