アメリカ人とのつきあい方 1サマーズ家の日々

*シャペロン

 パーティーの席にお酒がある点は30年前、私がシカゴの郊外エルムウッド・パークで
経験したパーティーとはずいぶんちがっています。クリスのパーティーでは、両親が
シャペロン(監督者)として会場にいたのですが、最近の高校生のパーティーでは
大人の監督をまったく受けないケースが増えているようです。この点も30年前の
エルムウッド・パークとちがっています。その頃は、高校生が家庭でパーティー
開くときに、監督者がいることは絶対的な条件でした。友だちのパーティーに招かれる
ときには、当日のシャペロンがだれなのか、親がかならず電話で確認していました。
 というのは、シャペロンが両親ではなくて、孫に甘いおじいさんやおばあさんの場合も
あるからです。パーティーにシャペロンがいるかどうか、シャペロンがパーティーの運営
規則をつくって、それをティーンエイジャーに守らせることかできるかどうかがとても重
要な条件になっていたのです。当時はもちろん、ティーンエイジャーのパーティーにアル
コール類は出てきませんでした。少しマセている子どもだと電気を消してネッキングやペ
ティングをしたがるのですが、それも禁止、あまり長い時間、男女二人だけでどこかに抜
け出すというようなことがないように、シャペロンが監視しているパーティーがほとんどでした。
 それでも、パーティーは楽しいものでした。たとえば、私にとってはじめてのダンス・
パーティーの数日前、私といっしょにこのパーティーに行く相手(英語では簡単に「デー
ト」といいます)ジョアンの両親が、私とスティーブ、それにスティーブのデートである
ダナ、その他の何人かを家に招いてくれました。はじめてのダンス・パーティーで、はじ
めていっしょにダンスをするのでは緊張してしまうだけで、パーティーを楽しめないだろう、
との心づかいからです。
 コンクリートにペンキを塗っただけの床の地下室で、ジョアンのかけるレコードに合わせて
ジルバの練習をしましたが、ジョアンの両親は食べ物や飲み物を運び、自分たちもいっしょ
におどりに加わりました。ジルバは氷川丸のなかで練習していたので、私は「日本の
高校でもジルバがはやっているのか」という問に答えなくてはならなくなりました。
  でも、このパーティーでいちばん得をしたのはスティーブでしょう。彼も高校でのダン
ス・パーティーに出るのははじめてだったのです。しかも、ジルバをよく知らなかったの
で、私たち何人かの「先生」の指導を受け、本番のダンス・パーティーでは、自信をもっ
て上手にダナをくるくる回していました。


広島ブログ