アメリカ人とのつきあい方 1サマーズ家の人々

* ディスカッション

 サマーズ家では、食事時の一家団らんのほかに、食後の片づけを終えてからも、
いろいろな社会問題について夜遅くなるまでよくディスカッションをしたものです。
サマーズ夫妻とスティーブ、それに私の4人とも、社会的な関心は強いほうだったので、
時のたつのを忘れるほど話をしつづけました。そのときだけはダッドに「11時だからもう
寝なさい」とはいわれませんでした。彼も時閲のすぎるのを忘れていたのかもしれません。
 ちょうど1960年、つまり安保条約改定が進められていた最中で、安保反対運動の急
先鋒として“ZENGAKUREN”という見出しが、アメリカの新聞に現れはじめていました。
ですから、私たちの話でも自然、安保条約をめぐる目米関係が中心テーマになりました。
 そのころのごくふっうのアメリカ人は、なぜ多くの日本人が安保条約改定に反対してい
るのか理解できませんでした。感謝されてとうぜんだと思っている人が大多数でした。彼
らの考え方は、おおむねつぎのようなものでした。真珠湾攻撃という卑劣きわまりない仕
方でアメリカに戦争を仕かけてきた日本の罪をアメリカは許してやった。それだけでも日
本は感謝をすべきである。だがアメリカはそれ以上のことをしている。民主主義を教え、
自国の若者をわざわざ遠い日本に送り、彼らの生命を賭してまで日本を守ってやっている。
それほど日本のために尽しているアメリカに、いったいなんの文句があるのだ・・・そんな
論旨です。
 ある夜、「私たちはかならずしもそうは思っていないけれど、そう考えているアメリカ人の
ほうが多い。タッドはどう思うのか」とマムが口火を切りました。その晩だけでは結論が出ず、
何度も同じようなことを議論しましたが、いちぱんきびしい意見の持主はダッドでした。
コミュニズム」(共産主義)の世界制覇が心配で二言目には「コミュニスツ・コンスパイラシー」
共産主義者たちの陰謀だ)が出てきました。
 議論が白熱すると、そのうちかならずマムが “That’s not fair, Ken.”とダッドをたしな
めました。直訳すると、「それはフェア(公正)ではない」になりますが、マムの言い方、
それにダッドの反応を考え合わせると、もっと深い意昧があったように思います。つまり
《子ども相手にそんなきつい言葉を使わなくてもよいでしょう。英語だってまだ一人前に
はしゃべれないんだから、息つくひまぐらいタッドにあげなさい。それに議論する目的は
相手をいいまかすことではなく、おたがいに相手を理解することなのだから》くらいの内
容があったように思います。
 みなが疲れてくるころになると、マムの「今夜は遅いから」を合図に私たちは腰を上げ
ました。ダッドの最後の一言、「アメリカは自由な国だからこうして自国政府の批判がで
きる。共産主義国ではそうはいかない」が加わることもたびたびでした。最後の一言に反
論するとまた議諭のむしかえしになりかねないので、私もその点には賛成して「グッド・
ナイト」ということになるのがつねでした。
 いま、30年も前のアメリカの生活をふり返ってみると、日本での友だち同士の楽しみ
のかなりの部分が、アメリカでは家庭での楽しみになっていたような気がします。
 たとえば、プール(玉突きの一種)はサマーズ家でダッドとスティーブから教わりました。
ダッドは1986年に亡くなりましたのでもう勝負はできませんが、いまだに彼とスティ
ーブには勝ったためしがありません。

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