*アメリカ人とのつきあい方 1サマーズ家の日々

家族旅行 

 家族全員で行った旅行といえば、日本では小学校5年のとき浅草からポンポン
蒸気に乗ったくらいですが、サマーズ家では月に一度くらいは家族全員で「遠出」を
しました。たとえば、秋には『ウエストサイド・ストーリー』のシカゴ公演を見に行きまし
たし、ウィスコンシン州の湖までドライブしました。冬には、シカゴの博物館、そして
少し遠いAFS留学生のホスト・ファミリーを訪ねました。クリスマスのショッピングも
みんなでいっしょにシカゴのダウンタウンまで出かけました。4月はじめの復活祭のころ
には、シカゴの市立植物園にユリの展示を見に行きました。シカゴ美術館には何度
も足を運びました。いまでもシカゴに行くと時間の許すかぎり寄るようにしています。
初夏には、3,4日をかけて、イリノイ州の州都スプリングフィールドイリノイ大学への
小旅行に出かけました。
 なにもないときには(と私には思えましたが、だいたい1月に1度の割合で)サマーズ家
から1時間ほどのところに住んでいるダッドの義理のお母さんを訪ねました。ダッドのお
父さんの二度目の奥さんですが、彼のお母さんではありません。その彼女も私をスティー
ブと同じ「孫」として扱ってくれました。スティーブはこのおばあさんにとても優しく、
おばあさんのほうも自分の2倍も背丈のあるスティーブを自分のそばから離しませんでし
た。私のほうはけっしてよい孫ではなかったのですが、それでも彼女は亡くなるまで毎年
クリスマス・カードを送ってくれました。
 アメリカの家庭の最大の楽しみは夏休みの旅行でしよう。日本の中学生や高校生が
修学旅行を楽しみにするのとそれほど差がないかもしれません。
 タフツ大学での同僚ビル・シュレシンジャーには娘が4人(双子が2組)いますが、毎夏、
家族そろってアメリカ各地を3週間くらい旅行していました。上の娘さん2人が大学に入
ってからは期間が短くなったようですが、彼のステーション・ワゴンに6人が乗り、イエロー
ストーン公園やデズニーランド、カリフォルニアの海岸やキーウェストと、毎年アメリカの
各地を訪れていました。
 私の最初のアメリカ生活は、9月からはじまり、翌年六月の高校卒業後すぐ、AFSの
計画したバス旅行に参加して、シカゴからワシントン、ニュー・ヨークヘ移動したため、
サマーズ家の人々といっしょの長期旅行(といっても、3,4日でしたが)は、スプリング
フィールドだけでした。
 息子のジミーが生れたとき、私と妻のベティーもジミーが10歳になったら、数年間、毎
アメリカの各地を家族で訪れようと計画していました。物心ついたころからジミーもイ
エローストーン公園やグランド・キャニオンヘの旅行を楽しみにするようになりました。
しかし私が日本に往むことになったため、その夢は実現不可能になりました。アメリカの
夫婦の50%以上は離婚するという統計があり、身のまわりに離婚家庭のあることが常織
でも、子どもにとって、そして親にとっても、夏休みに計画していた長期旅行が水の泡に
なるのは悲しいことです。
 対話を積み重ねるどころか、何千キロも離れて住むことになったのですから、私は父親
として失格です。それでもジミーが、母親と二人でなんとか楽しい家庭生活を味わってく
れること、私と同様、よい友人を多くもち学校生活を人一倍楽しんでくれることを祈って
います。


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