秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 2エルムウッド・パーク・

 色・形・音・におい

 エルムウッド・パーク・ハイ・スクールに入って一番驚いたのは、周りに
いる同級生がみな″アメリカ人″だったことです。生れて初めてアメリ
で受けた授業は、社会科でしたが、それが終って次のクラスに移動するた
め教室を出た瞬間、廊下一杯のアメリカ人のティーンエイジャーが私の目に飛び込んでき
たのです。アメリカの高校なのだから当り前なのですが、それでも感覚的シ’ックを受け
ました。
 映画とか雑誌で私たちが見るアメリカはほとんどが大人の目で見た大人の社会です。
それまでの私の「アメリカ観」は、そうした大人社会を基礎にしていました。もちろん、ア
メリカ映画のなかにもティーンエイジヤーは現れますが、人数も限られ、しかも平面的に
しか見ることができません。においもありません。
 生のアメリカはもっと鮮やかでした。まず色彩の豊かさです。髪の色が一人一人ちがう
ことは、頭で理解してはいたものの、目の前に数十人数百人、ちがった髪の色、髪の形を
した高校生がいて、それを見ることとは異次元の経験です。制服を見慣れた目には、色と
りどりのシャツやスカート、ズボンもショッキングでした。
 しかも、中西部の乾いた空気を通して見る赤や黄のAラインのドレスには、平面幾何に
くらべた立体幾何の神秘さと美しさがありました。
 そうした色には、においもついていました。女生徒の化粧品のにおい、頭につけた整髪
料のにおい、日本にはなじみのなかったデオードラントのにおいも強烈でした。
 音もありました。すれちがうたびに、誰かが「ハーイ、タッド。ウェルカム・トゥー・エルム
ウッド・パーク」とか、「ハイ、タッド」とか声をかけてくれました。「グッド・モーニング」という
声もありました。
 そうした色や形、そしてにおいや音が、立体的に私をかこんでいたのです。正面だけで
はなく、横からもうしろからも、そして、ニメートルもある長身の級友や入ったばかりの
一年生のおチビさんとともに上や下からも「アメリカ」を発信していたのです。
 感覚的なショックは一時的なもので、一週間もすると違和感はなくなりました。その後
一年近く、鏡の中の自分の顔の他には日本人の顔が見られない生活をしたのですが、懐し
さでわくわくしながら降り立った羽田空港のロビーで、今度は逆のショックを受けました。
並み居る人々がみな、髪が黒く肌が小麦色の日本人(だと思いましたが、他のアジア人も
いたかもしれません)だったからです。
 異文化にふれることで、私たちの感覚は識別能力が鋭くなり深みを増すようです。それだ
けでも外国で生活する価値は十分あると思います。その他にも私が一年間の高校生活で
得たものは多くあります。感覚的なショックほどの衝撃はありませんでしたが、私のその後の
考え方、生き方に影響をあたえた点ではそれ以上に大切かもしれません。




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