秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 夏休みのキャンプ

夏休みのキャンプ

     夏休みのあいだ学校はなくなりますが、親はずっと仕事のあるのが普通ですか
ら忙しさは変りません。けれども、一週間か二週間、親のほうも休みを取って子どもとい
っしょに旅行するというのが典型的なアメリカ人の夏休みの過し方
です。残りの期間に、アメリカの子どもたちは、キャンプに行くことが多いのです。林間
学校、臨海学校のようなもので、小学校の高学年あたりから中学生が中心です。低学年の
うちは、昼間だけ近くのキャンプに通いますが、数週間、完全に親元を離れるキャンプは、
子どもたちが自立する助けにもなっています。
 典型的なキャンプは、山とか海といったリソート地のすぱらしい環境のなかで開かれま
す。テニス・キャンプとか音楽キャンプ、あるいは理科キャンプといった形をとりますが、
子どもたちが興味を持っていて、親から離れて少し淋しくなっても、集中しているうちに
親のことなど忘れてしまうようなテーマに焦点をしぼって、関連のある活動を中心に共同
生活をするのです。寝る場所は、質素な木造のキャビンが多いようですが、歴史の長いキ
ャンプでは特別の寮が建っている場合もあります。何人かいっしょに一部星に住みます。
 キャンプには、先生が何人かいて、キャンプでの教育内容に責任を持ちます。生活面は、
ちょっと年上のカウンセラーがりーダーとしていっしょに寝起きします。カウンセラーは、
高校生のキャンプだったら大学生、小学生のキャンプだったら高校生ぐらいの年齢です。
一キャビンに一人、つまり五、六人に一人くらいの割合で、子どもたちの面倒を見てくれ
ます。もちろん、事前にカウンセラーとしてのオリエンテーションを受けています。
 息子のジミーは一九八八年の夏、はじめて二週間のキャンプに出かけました。メイン州
の大学が主催した海洋生物学のキャンプです。それまでは、二、三日でも、親元を離れる
のが不安だったジミーが二週間も離れられたのは、当時、彼の頭の中が熱帯魚や海の生物
のことで一杯だったからです。
 ジミーにとって、キャンプはとても楽しかったし、先生方もいろいろ教えてくれたので
勉強になったそうですがヽ「生物の名前を呼ぶのにすぐラテン語を使うからいやだった」
と言っていました・それでもけっこうラテン語を覚えてきましたし、それとは別に、ミズ
ーリ州から参加したデービッド君と仲よくなったのが一番の収穫だったようです。
 専門的なキャンプもあります。たとえば、テニスのキャンプなら、テニスにすべてを賭
けてもいいと思っているような子どもたち、テニスの選手やプロになりたい人たちだけを
集めて、一流の選手がコーチになって徹底的にしごくことになります。こうした専門的な
キャンプは、費用もずいぶんかかりますが、ジミーの行ったキャンプは二週間で1000
ドルほどでした。
 どのキャンプに子どもを送り出したらよいのか親は頭を痛めるのですが、気をつけてい
ると、春ごろから新聞や雑誌にキャンプの広告が出ています。キャンプの優劣をリストし
た本なども出ています。しかし、自分の子どもより少し年上の子どもを持っている人から
情報を集めるのが手っとり早いやり方です。パンフレットを集め、二つ三つのキャンプに
的を絞って、費用、距離等も勘案して、親子で最終的にどのキャンプに行くのか決めるの
ですが、良いキャンプに当たれば、当然、次の年もそこへ行くことになります。こうして、
アメリカの子どもたちは、だんだん親元から離れていく練習を積むのです。

広島ブログ>

秋葉忠利著書 アメリカ人とのつきあい方 仕事探し

仕事探し

夏休みや冬休み−とくに夏休みが多いのですが−には、高校生のためにいろいろなアルバイトがあります。たとえばマクドナルド・ハンバーガーのようなレストランでのウエーターやウエートレスといった仕事がありますし、一般の企業や官庁などでの書類のコピー係や雑用係といった仕事もあります。夏休みの間にアルバイトでお金を貯めて、大学の学資の一部にする高校生も多いのですが、それを見越して、大人社会の側も高校生のためにアルバイトのチャンスを創り出します。夏休みや冬休みの長期アルバイトも、学校のカウンセラーに聞いたり、新聞の求人広告や店頭の求人広告を見たり、あるいはアルバイトのありそうな企業に直接電話で尋ねたりして探すことが多いのですが、前の年にアルバイトをした先輩からの紹介や親を通しての仕事探しもかなりあります。
 さて、求人広告を見たにしろ、先輩から勧められたにしろ、具休的にはどのようなプロセスで仕事が自分のものになるのでしょうか。たとえば、マクドナルド・ハンバーガーのアーリントン店で掃除係を求めている−それを店頭の貼り紙で知ったとします。まず、その店に電話をかけるか、店頭で、仕事をしたいという意思表示をします。次に、レジメ、つまり履歴書の簡単なものを持って、マネージャーなりアルバイトを雇う権限のある人の面接を受けるのが普通です。レジメにはそれまでの自分の職歴を中心に書きますが、学校
はどこで、どんなクラブ活動をしてきたか、いままでどんなアルバイトをしたことがあるのかなども記します。家事手伝いしかしたことのない人もいるわけですが、それがこれからの仕事にどう役立つかを考えて、自分のPRをするようにします。
 また、これまで働いた経験のある人は、前の「雇主」からの推薦状をいっしょに持って行くか、推薦してくれる人の電話番号を書いておきます。雇う側では、推薦状を読んだり、それでもたりないときには推薦者に電話をして「これこれこういう仕事でだいじょうぶだろうか」というようなことをたずねます。
 推薦する側は、嘘を言わないように、同時に仕事を探している人ができるだけ有利になるように言葉を選びます。雇う側もそれを前提に、何が書かれているかと同時に、書かれていない点にも目を光らせます。
 こうした確認作業は仕事探しだけではなく、大学への入学願書をはじめ、推薦状が必要とされる場合にはほとんど同じです。私がある奨学金の選考委員をしていたときのことです。成績は優秀でしたが、推薦状に「思いやりのある人」あるいはそれに類した表現がまったくない願書のあることに気がつきました。推薦者に電話でその点を確かめると、「思いやりがあるとは言えない。でも優秀な人ですよ」との返事でした。奨学金の条件に、他人への思いやりのある人、という項目があったので、電話での追加データは貴重でした。
  推薦する人が嘘を書かないことは社会全体にとっても、書き手にとっても長期的な利益になります。嘘を書いて「あの人の推薦は信用できない」という評価を受けることは、信用を重んじる社会では致命的だからです。
 家から離れて夏休みや冬休みの長期アルバイトをする高校生もいます。たとえば、夏や冬の観光地にはその季節に、多くのアルバイトが生れます。そこに両親といっしょにやってくる高校生がアルバイトをする場合もありますし、観光地の近くの親戚の家に厄介になりながらアルバイトをする人もいます。こうした高校生にとって、お金を稼ぎながら両親と離れて生活する機会をあたえてくれる夏休みは、とても有意義な季節です。

広島ブログ

秋葉忠利著書  身近なアルバイト

              アメリカ人とのつきあい方

                4章 若者の自立

                     身近なアルバイト



 しかし、自立のためにより本質的なのは、自分で働いてお金を得ることです。そして、アメリカの子どもたちにとっても、いちばん身近な仕事は、家事の手伝いです。現に、アメリカの小学生のほとんどは家事の手伝いをして親から報酬をもらっています。
 最初は、家の周りの仕事が主ですが、そのうちに近所の家の芝の手入れとか、雪かきをするというように、少しずつアルバイトの範囲は広がります。家の手伝いと一人前のアルバイトの間に、アルバイトの見習いのような期間が入ることもあります。わか家では、芝の手入れは私の仕事でしたので、息子のジミーが手伝いをしてくれるたびに、お金を払いました。私が日本に来てからは、近くの大学生に芝の手入れを頼んでいますか、ジミーは、その大学生の手伝いをしてお金をもらっています。この大学生は、家以外にも「お客さん」がいるので、ジミーは他の家の芝の手入れも手伝って、一回一ドル二五セントもらっています。そのうちに、「独立」して、自分でアルバイトをすることになるはずですが、中学の一年生にとっては、大学生のアルバイトのアシスタントくらいが、ちょうどよい責任の取り方であり、収入だと私は思っています。
 雪の降る地域では、道路から家の入口まで、そして車庫から道路までの雪かきがずいぶんいいお金になります。年配の人にとって雪かきは、重労働です。しかもアメリカは心臓病の多い国です。心臓発作を防ぐため、ふだん運動をしていない三〇歳以上の人は雪かきをすべきでないという警告が、毎冬、新聞やテレビを通して流されます。また、健康な若い人でも、仕事が忙しくて雪かきまで手がまわらないことがあります。朝早く仕事に出なければいけないビジネス・マンが、なんとか車のところまでたどりついても、雪が深くて車が出せないこともあります。そんなとき、近所の子どもたちに電話をして雪かきを手伝ってもらうのです。あるいは冬の初めに、近所の子どもたちと契約しておいて、雪が降ったら朝の何時までにどことどこの雪を除けばよいのかを決めておきます。雪の量や、雪かきの広さにもよりますが、一九八六年には一時間五ドルくらいが、相場でした。
 女子高校生の場合には、ベビーシッターがよいアルバイトになります。ベビーシッターは一年中、自分の家の近くで手軽にできる仕事です。しかし、赤ん坊のおむつの取りかえ方とか、急に泣き出したらどうするのか、あるいは、万一、火事になったり泥棒が入ったりしたらどうするのか、等についての基礎知識を、事前にだれか(多くの場合はお母さんです)から教えてもらう必要があります。スーパーマーケットやタウン紙に広告を出して仕事を探す場合もありますが、ほとんど近所の人たちのクチコミで仕事が回ってきます。
責任感のあるベビーシッターが少ないので、信頼できるベビーシッターなら引く手数多だからです。
 ジミーが三歳のころ、近所の高校生をベビーシッターに頼んだのですが、ジミーを放っておいて友だちと電話で話をしていたらしく、私たちが帰ってきたときには、ジミーが家中にまいた暖炉の灰で目も当てられない状態でした。それ以後、別の人を頼みましたが、彼女はベビーシッターとしても信頼が厚いうえ、人気者でデートに誘われることが多いため、一週間以上前に予約をしておかないと、「すみません、もう予定がありますので」ということになって急にベビーシッターが必要なときには、まず頼めませんでした。
 最近はウイメンズ・リブ(女性の権利を社会全体で守って行こうとする運動)の影響もあって、働く女性の数も増えています。当然ベビーシッターの需要も増えています。きちんとした仕事のできる高校生が増えれば、高校生も親のほうも助かります。そのため高校のなかには、べビーシッターとして働くために必要な最低限の知識を教え始めたところもあります。





広島ブログ

秋葉忠利著書  自立の歩み

              アメリカ人とのつきあい方

                4章 若者の自立

                     自立の歩み


高校時代一年間のアメリカ生活で淋しかったことは、その間一度もトンボの姿を見なかったことです。その後、大人になってからは、あちこちでトンボを見かけるようになり、アメリカのトンボの種類もわかるようになりました。私がトンボを好きなのは、透き通った羽根の美しさと、自由に空を飛ぶ身の軽さに魅力を感じるからですが、水の中に棲んでいる幼虫(ヤゴ)がある日、地上に出て、脱皮することで成虫になる過程がドラマチックなことも理由の一つです。
 トンボの成長過程について、私たちはこのようなイメージをもっているのですが、私たち自身、つまり人間の成長過程についても、かなりはっきりしたイメージを抱いています。
しかし、そのイメージは文化や社会に大きく影響されます。
 たとえばアメリカ人は一般的に子どもの成長を、つぎのようなイメージで考えているようです−まず、人間は赤ん坊時代、まったく親と社会に依存している。このような、まだ自立していない状態からぬけだして、他人に頼らずに生活できるようになってはじめて、大人になる、つまり一個の独立した人間として認められる−。
 もちろん、大人になるためには、周囲の人々と仲よくつき合えたりいっしょに仕事ができたりといった社会性も必要なのですが、それ以上にアメリカで強調されるのは、他人に依存しない、という点なのです。そして、子どもから大人への変化は急激な形で、十代、つまりティーンエイジャーの間に起ります。
 対して、日本では、なんにも縛られない天衣無縫の子どもが、社会の規則を覚え他人とうまく生活して行けるようになって、はじめて、大人として認められる傾向があるように思います。
 社会全体の傾向をこのように単純な説明で描き尽くすことなど不可能ですが、アメリカ社会が子どもたちの自立をどれほど歓迎しているのか強調するために、あえて比較をしてみました。
 もう一つ、私にとって印象的だったのは、若者の自立過程が、アメリカ社会では日本よりずっとドラマチックなことです。たとえば、日本では、高校から大学に進学しても、あるいは大学を卒業して就職しても、親元から通学・通勤しつづけて、結婚後はじめて親から離れる人が多いように思います。
  アメリカでも最近、経済的な理由から親離れが遅くなっていると言われますが、それでもかなりの数の若者は、親元を離れて遠くの大学に通います。つまり、経済的、精神的には自立していなくても、十八歳ぐらいになると、住む場所だけは親とは別になります。それが、精神的・経済的な自立を促すこともあります。学生時代には普通、親が学資を出しますから、経済的にどのくらい自立しているのかはっきりしないところがあります。それでも、アメリカの大学生(そしてアメリカの中高校生も)のほうが、経済的な自立度は高いような気がします。
 それは、小さいときから自分なりにお金を稼いで、そのお金を自分の責任で管理して使う習慣がついているからだと思います。ときには、日本のお年玉のように、親や親戚からお金をもらうこともあります。塵も積れば山となりますから、子どもがまだ小さいときでも、親が子どもの名義で銀行ロ座を作っておくことが多いようです。
 自分で署名ができるようになると、子どもが自分で当座預金口座を作ることも可能です。小切手にサインをしてお金を払うことになります。利子はつかないのが原則ですが、最近では利子のつく当座預金も増えてきました。自分の当座預金そして小切手帳をもっている高校生はかなりいますし、親が支払い責任者になっているクレジット・カードをもっている人もいます。クレジット・カードの支払いは親に依存するのですが、小切手帳の管理は自分のお金を管理するという意味で自立につながっています。



広島ブログ

秋葉忠利著書  独立記念日・レーバー・デー

              アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     独立記念日・レーバー・デー



本格的な夏になると、七月四日がアメリカの独立記念日です。クリスマスがアメリカの宗教を象徴する冬のお祭だとすると、独立記念日アメリカの政治を代表する夏の祝日です。
 そして独立記念日には花火がつきものです。町単位に大きな花火をあげ、子どもたちは夜、小さい花火で遊びます。夏の暑い日ですが、友だちを招待して家族ぐるみでバレーボールなどを楽しみ、お腹が減るとバーベキューを囲みます。家族ぐるみあるいは職場単位で楽しむのですが、その輪の真中に高く星条旗のひるがえっている日なのです。
 キリストの生れた日であるクリスマスと、アメリカという国の生れた独立記念日が、アメリカでもっとも重要な祝日だということは、アメリカ社会において誕生と独立が大きな意味をもつことの反映だとも考えられます。
 メモリアル・デーに始まるアメリカの夏は、独立記念日をピークに、九月の第一月曜日、レーバー・デー(労働者の日)で終ります。他の国では五月一日のメー・デーが有名ですが、アメリカのレーバー・デーでまず頭に浮ぶのは、混みあったハィウェーを、家族を乗せて家に向う、ステーション・ワゴンを運転している疲れきった父親の姿です。
 アメリカの一年の節目はこのほかにも多くあります。テレビで放映されるスポーツの種類をめどに季節の移り変りを感ずる人もいるでしょうし、芝生や草花の手入れで時間の流れを知る人もいます。しかし、法律で決っている祝日には、アメリカ人の考え方の最大公約数が表れているように思います。その中心には家庭と宗教がある点はアメリカ的ですが、一方、祝日の多くが戦争にかかわっていること、年中行事の多くが景気や経済活動の影響を大きく受けていることなど、別のアメリカの顔をもうかがい知ることができそうです。


広島ブログ

秋葉忠利著書  メモリアル・デー

              アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     メモリアル・デー

 アメリカで夏を予告する休日はメモリアル・デー(戦没将兵記念日)です。もともとは五月三〇日だったのですが、最近は五月の第三月曜日を休みにする州が多くなっています。南北戦争中に南部の婦人たちが戦死者の墓に花を捧げた故事に由来するのですが、最近では南北戦争以後すべての戦争で死んだ人たちの霊を慰める日となっています。
 アメリカの北部ではこのころ長い冬が終わって短い春が訪れています。でも、アメリカの春は不安定です。ひょっとすると冬に戻る気配さえあるのです。しかし、メモリアル・デーを仰えると、緊張を解いてよいのです。たしかに夏がやってくるしるしなのです。もちろん、復員兵たちが中心になって国旗をなびかせ、パレードが行われる日でもあります。
  この日にはラジオ、テレビ、その他で戦争に関連のある特別番組の組まれることがあります。たまたま私は、十年ほど前のボストンで「広島、長崎の原爆投下は正しかったか」というテーマの番組を耳にしました。アナウンサーは聴取者の十人中ハ、九人は広島、長崎への原爆投下は正しいと電話をしてきたと報告していました。
 ボストン市民の反応は私にとって驚きでした。その驚きがもとになって、私はその後、海外のジャーナリストを、広島、長崎に招待し、彼らの経験した広島、長崎像を世界中に広めてもらおうというプロジェクトを提唱し、その手伝いをすることになりました。

広島ブログ

秋葉忠利著書  聖パトリック祭・復活祭

              アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     聖パトリック祭・復活祭

三月一七日は聖パトリック祭で、アイルランド人の守護聖人である聖パトリックの日です。アイルランドアメリカ人はこの日、アイルランドを象徴する緑色の衣服を着ます。アイルランド系ではなくても、敬意を表して緑色の洋服を着る人もいます。私もはじめて経験した聖パトリックの日に、緑色のセーターを着て登校しました。アイルランド系の同級生からは握手を求められ、いろいろな人と友だちになれました。
 三月二一日のつぎの満月直後の日曜日が復活祭です。年によって日がちがいますが、だいたい四月の第一週です。子どもたちは、ゆで卵に色をつけ、それを親が家中に隠しておいたものをさがし、キャンディのつめ合せのプレゼン卜をもらうのを楽しみにしています。
 教会はユリで飾られ、キリストの復活を祝う特別の礼拝が行われます。シカゴの市立植物園では毎年この頃にユリの展示会を行いますが、サマーズ一家とともに見た温室のなかの花は、春の到来を告げる希望の色でした。



広島ブログ