秋葉市長オバマ大統領に広島訪問を要請

広島に行きたい=ホワイトハウスで秋葉市長に−オバマ大統領

1月22日8時32分配信 時事通信

 【ワシントン時事】米首都ワシントンを訪問中の広島市秋葉忠利市長は21日、全米市長会議のメンバーと共にホワイトハウスを訪れ、オバマ大統領と面会した。面会後に記者会見した秋葉市長によると、同市長が「いつかぜひ広島市においでください」と言葉を掛けると、オバマ大統領は「行きたいと思う」と返答したという。時期への言及はなかった。
 秋葉市長は5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、核兵器廃絶への協力を訴えるために20日から全米市長会議に出席していた。
 ホワイトハウスでは、オバマ大統領の演説後、各都市の市長が壇上に集まった際、ごく短時間、大統領と直接言葉を交わす機会があった。
 秋葉市長が「広島市長です」と自己紹介すると、オバマ大統領は「ヒロシマ」という言葉に反応し、笑みを浮かべたように見えたという。そして、同市長の招待には「I would like to come(行きたいと思います)」と答えた。
 秋葉市長は去り際に、「すべての人々に祝福されるような形で来ていただきたい」とも声を掛けたという。 

帰国後このブログで報告をお願いしたい。

秋葉忠利著書  祝日になった誕生日

              アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     祝日になった誕生日


 一月十五目はマルチン・ルーサー・キング師の誕生日です。これは一九八六年にはじめて休日になりました。公民権運動の中心となったキング氏を記念し、黒人やその他の少数派の人々の地位向上を目的とした休日です。
各地でいろいろな催しがありますが、アメリカの生恬の一部になるのにはもう少し時間がかかりそうです。
 誕生日では、二月十二日のリンカーンの誕生日と二月二二日のワシントンの誕生日が有名です。また、この二人の誕生日をあわせて、大統領の日と呼び、ちょうどそのあいだにある適当な月曜日を休日にしている州もあります。
 ワシントンの誕生日にはワシントンと桜の木のエピソードにちなんで、チェリー・パイを食べるので、子どもたちには人気があります。南北戦争北軍のリーダーだったリンカーンをいまだに嫌っている南部の人々は、南軍の指導者だったリー将軍の誕生日を祝います。
 二月十四日のバレンタインズ・デーは日本にも広まりましたが、この日の意味が、日米では少しちがっています。「愛の日」であることは同じなのですが、女性から男性というだけでなく、男性から女性、子どもたちから両親や先生といったふうに、「好きな人」に、
自分の気持を伝える日です。
 小学校では、授業のなかでバレンタインの日のカードを作ったりします。人気のある生徒にバレンタインの日のカードが集中して、なにももらえない生徒が傷つくことのないよう、クラスメートすべてにあてたカードを作るのです。


広島ブログ

秋葉忠利著書  ニューイヤー

              アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     ニューイヤー

 一月一日は休日ですが、とくにこれといったお祝いはしません。ゆっくりと新年の決意を新たにしたり、人によっては寝正月として過し、二日からはふつうの生活に戻ります。
 にぎやかなのは大晦日です。三一日にはほとんどの人が十二時過ぎまで起きています。年越しのパーティーを開く人もたくさんいます。子どもたちもこの日だけは早く寝なくても怒られません。十二時になると表の戸を開けて近所の人たちといっしょに新年を祝います。花火を打ち上げる町もありますが、クラッカーを鳴らしたりシャンペンの栓を開けたり、「ハッピイ・ニュー・イヤー」と挨拶したり、とにかく騒がしい一時です。私も、特別な日だからというのでシャンペンを飲ませてもらいました。マムが「あなたが恥ずかしがりやでなければ、今夜はお祝いにほっぺたにキスをするんだけれど」と言ったのが印象的でした。

広島ブログ

秋葉忠利著書  クリスマス 

              アメリカ人とのつきあい方

            3章 アメリカの年中行事

                     クリスマス



デパートやその他の商店は、サンクスギビングが終るとすぐに、クリスマスの飾りつけをします。クリスマス・ツリーを中心にしたデザインで、色はクリスマスを象徴する赤と緑が中心です。豆電球、ヒイラギ、サンタクロースに雪など、日本の商店街とそれほど差はありません。教会や公園・市役所などには、キリスト生誕時の
シーンを人形で再現した模型が置かれます。小学校ではキリスト生誕劇を子どもたちが演じる学芸会のような催しも開かれます。
 ただし最近では、市役所や公立の学校でこのような宗教的行為を行うのは、アメリカ合州国憲法のなかにある政教分離の原則に、反していると考える人が多くなっています。宗教的にも、クリスマス反対論がありました。事実、十九世紀なかごろまで、アメリカにはクリスマスを祝うことを禁止する法律さえあったのです。十二月二五日にキリストが生誕したことになっていますが、その根拠が聖書のなかにも、その他の文書のなかにも見つからないから、というのがその理由です。
 にもかかわらず、クリスマスは現在のアメリカの一年のなかでいちばん大切なお祭です。
宗教と家庭に根を持っていること、そして、子どもたちの夢をはぐくんできた行事だからでしょう。プレゼントをもらえるせいでもありますが、子どもたちにとって、町中に笑顔が満ち、おたがいの幸福を祈り合う日が待ち遠しいのは自然なことでしょう。
 その待ち遠しさを形に表したものが、アドベント・カレンダーです。十二月一日から窓を一つずつ開けていって、二五になると、キリスト生誕の絵が完成したり、プレゼントが出てきたりします。
 十二月二四日の夜、子どもたちが家々を訪ねてクリスマス・キャロルを歌う習慣も続いています。私も友だちといっしょにクリスマス・キャロルを歌いながらクリスマス・イブのエルムウッド・パークの町を歩きました。一メートルほどの雪の中、懐中電灯の光がとても暖かく見えました。友だちのうちを何軒か訪ねて、最後は教会の地下室で身体を温めました。温かいリンゴ・ジュースやホット・チョコレートなどが準備されていて、とても楽しいクリスマス・イブでした。
 アメリカの家庭では、十二月の十日ごろからクリスマス・ツリーを飾り始めます。なかには、モミの木を森から切ってくる人もいますが、ほとんどの人は店で買うようです。日本の門松市と同じような露店の「ツリー屋」があちこちにできます。多くの家庭では、家中で一晩かかってモミの木に飾りをつけます。飾りのなかには色とりどりのガラスの玉、おじいさん、おばあさんの代から伝わってきたお人形、外国で買ってきた記念の品等、家庭ごとに意味のあるものを選びます。モミの木のてっぺんに大きな星をつけ、雪の代りの銀紙を散らして完成です。親しい人たちのあいだでは、クリスマス・ツリーの飾りをプレゼントすることも多いようです。
 サマーズさんの家のクリスマス・ツリーに私は折り紙で鶴と奴さんを折っておいてきました。それからあと何年もずっとクリスマスのたびに、その鶴を取り出してはクリスマス・ツリーに飾ってくれていました。
 ところで、ユダヤアメリカ人は、クリスマスを祝いません。しかし、ちょうど同じころにハヌカというユダヤ教の祝日があります。クリスマス・カードは、クリスマスを祝うためのものですから、ユダヤアメリカ人、あるいはユダヤアメリカ人の友だちが多い人は《Merry Christmas》の代りに言《Happy Holidays》とか《Havea Wonderful Holiday Season》といったカードを交換します。
 エルムウッド・パークの近くには、通りに面したすべての家が、毎年華やかなクリスマスの飾りをすることで有名な一区画がありました。屋根や窓に電球を飾り、家の前には、それぞれ趣向をこらしたサンタクロースやトナカイ、『くるみ割り人形』に出てくるようなあめや兵隊の人形を置いて、夜になると灯を入れるのです。クリスマスが近くなったある土曜日、サマーズ一家とシカゴまで、クリスマスのためのショッピングに出かけた帰りに、このデコレーションを見に行きました。道が凍りつくほど寒い夜だったので、車をゆっくり走らせて見物している人がほとんどでした。
 クリスマスの日には、サマーズ家の人々と教会に行きました。クリスマスのための飾りつけをした教会で、気心の知れ合った人々とともに希望と愛についての話を聴き祈る雰囲気は、異教徒の私にとっても快いものでした。



広島ブログ

秋葉忠利著書  感謝祭

              アメリカ人とのつきあい方

            3章 アメリカの年中行事

                     感謝祭


 十一月の第四木曜日、日本だと勤労感謝の日のころですが、感謝祭Thanksgiving Dayがあります。ふつう、一六二〇年にメイフラワー号でプリマスに着いた清教徒たちが困難なひと冬を過した後、インディアンがトウモロコシ(インディアン語で「メーズ」といいます)の作り方を教えてくれたため、つぎの年には多くの食糧を得ることができ、はじめてアメリカに定着する自信が生れたといわれています。そのインディアンヘの感謝をこめて自分たちの収穫物、そして獲物を食卓に並ベインディアンを招待したのが感謝祭の発祥だと私たちは聞いています。
 感謝祭の日には七面鳥をオーブンで焼き、昼のディナー、大きな食事のメイン・ディッシュとして、家族や親しい友人たちといっしよに食べるのです。七面鳥クランベリーという赤いイチゴの一種からつくったジャムのような甘いソース(クランベリー・ソースと呼ばれます)をつけて食べるのがアメリカの伝統です。私は七面鳥といっしょに出てくるスタフィングが好きです。これは数種類の野菜、肉のばらばらになった部分、内臓などを混ぜて七面鳥のなかに詰めて焼いたものです。カボチャもありますし、フルーツ・ケーキも食べるのですが、トウモロコシは季節はずれなのでどちらかというと、飾りとして使われます。
 七面鳥はクリスマスのディナーのメイン・ディッシュでもあるのですが、食べることが中心になるサンクスギビングでより大きい役割をはたします。清教徒たちは、七面鳥の飼い方もインディアンから教わりました。七面鳥は育てやすいので、当時のアメリカ人の主要な蛋白源になりました。ただし、あまり頭の良い動物ではありません。アメリカが独立したころ、ベンジャミン・フランクリンが、七面鳥アメリカの国鳥にしようと提案したのですが、頭が悪すぎるから駄目だという理由で反対する人が多かった−そんな記録も残っています。
 サンクスギビングの日はもちろん休みになります。木曜日なので金曜日に休みをとって、土曜日曜とあわせて四日間の休みを楽しむ人たちがずいぶんいます。
 サンクスギビングからクリスマスまで、ほぼ一月あるのですが、この間に、その年のうちにどうしてもしておかなくてはならないことをなんとか終らせたり、クリスマスの準備をしたりで、とても忙しい一ヵ月になります。



広島ブログ

秋葉忠利著書  ベテランズ・デー

             アメリカ人とのつきあい方

            3章 アメリカの年中行事

                     ベテランズ・デー

 十一月十一日にはベテランズ・デーのパレードがありました。兵隊さんたちが中心のパレードでしたが、それはこの日が、復員軍人記念日だからです(復員兵のことを英語でveteranといいます)。第一次世界大戦が一九一七年十一月十一日午前十一時に休戦した記念日です。もともとはArmistice Day、つまり
休戦記念日として第一次世界大戦の休戦だけが対象でしたが、一九四五年以来、すべての復員兵、復員軍人の日としていろいろな戦争でたたかったアメリカの元兵隊たちの努力を顕彰する日としての祝日になりました。
 それ以前にも戦争があったのに、なぜ第一次世界大戦のあとにはじめて休戦の日がもうけられたのでしょうか。それまでのアメリカは世界の人たち、世界中の国々と自分たちとはあまり関係がないのだ、世界のほかのところにも干渉しないから自分たちにも干渉はしてくれるなというモンロー主義、あるいは孤立主義とよばれる政策をとっていましたが、これが第一次世界大戦によってくつがえされたのです。第一次世界大戦ではその原則を捨てて、アメリカの外であるヨーロッパの戦争にアメリカが加担をしたかたちになったからです。
 参戦の理由は「すべての戦争を終えるための戦争」という歌い文句に簡潔に盛りこまれています。さらに「民主主義をもっと安全にするための戦争だ」ともいわれました。孤立主義を捨てるためには別の大義名分が必要だったのです。同時に、それまで大きな戦争に参加したことがなかったアメリカが世界的な戦争に巻きこまれ、その結果、アメリカという国そして社会全体が疲れたことも事実です。だからこそ、アメリカの市民にとって休戦がひじょうに大きな意味をもっていたのです。



広島ブログ

秋葉忠利著書  ハロウィーン

             アメリカ人とのつきあい方

           3章 アメリカの年中行事

                     ハロウィーン

 子どもたちにとって楽しみなのは、ハロウィーンです。十月末にカボチャをくりぬいて、人の顔の形をした提灯を作ります。そして骸骨や幽霊の人形などといっしょに窓に飾りつけるのです。こうした準備の後、万聖節の前夜、十月三一日に、大人がびっくりする(と小さい子どもは本当に信じているようです)仮装をして、子どもたちが近所の家の戸を叩きます。戸を開ける大人に”Trick or treat.”(っまり、「なにかおいしいものをくれないと、いたずらをするぞ」というおどしです)と声をかけます。
 子どものいる家はもちろん、いない人も、夕食のすんだころには近所の子どもたちが現れることを期待して、あめやガム、チョコレートなどを用意しておきます。サマーズ家にも、近所の子どもたちがいろいろな仮装をしてやってきました。スティーブがお菓子を渡し、私は、その頃まだ高かったフラッシュ・バルブを使い過ぎないようセーブしながら写真をとりました。
 安いお菓子を買っておけばすむことですし、子どもたちの仮装を誉めてやるのも楽しいはずなのですが、それでもなかには、ぜったいにお菓子をやらない人もいます。仕事で留守にしなくてはならない人もいます。
 そんな場合、ハロウィーンの日の「了解」によると、子どもたちは、いたずらをしてもよいのですが、ほとんどの子どもは、いたずらをしません。いたずらをする場合も、ほほえましく実害のないものという原則があります。留守の家、ドアを開けない家にはいたずらをするなという親もあります。
 しかし、最近のハロウィーンにはかげりが見えます。チョコレートの包みやガムの包みのなかに針やカミソリの刃、あるいは毒薬を入れて子どもに渡す人のいることが毎年報じられます。親たちは子どもに、知人の家だけを回るように言い聞かせたり、子どもがもらってきた菓子類をすべて入念にチェックしたりするようになりました。
 また、本来ならもう大人のほうに属していて、ハロウィーンには近所の家を訪れる代りに、仮装パーティーでも開くことで、自分たちだけの楽しみを追っていてもよいティーンエイジャーたちの間に、度の過ぎたいたずらをする傾向も生じてきました。生卵を投げつけられるのも、後の掃除が大変ですが、窓ガラスを割ったり簡単に手の届かない所に動物の死骸を置いたり、糞尿をまいたりするケースもあるようです。


広島ブログ